パ リ
第 11 章
目覚めるといつもと違う部屋だった。
そうか、パリにいるのか。
オスカルはきょろきょろとあたりを見回した。
それほど広くはないが、調度品などは豪華にしつらえてある。
最後にこの部屋に来たのはいつだったろう。
まだ二十代の頃だ。
オペラ座やルーブル美術館への行啓で、王妃さまのお供が続くと、ここで休息をとった。
窓辺に近づき、ジャコブの丹誠込めた庭園を見下ろしていると、斜め前の部屋の窓に
アンドレの姿が見えた。
さすがにいつもは早起きのアンドレも、今起きたところらしい。
窓を開け声をかけようとして、アンドレが上半身に何もまとっていないことに気づいた。
着替えの途中で手を止めて、オスカルと同じように窓から外を見ている。
だが、視線は庭園に向けられていて、オスカルが自分を見ていることには気づいてい
ない。
どうしよう…。
声をかけようか。
だめだ、着替えが終わるまで待とう。
顔が熱い。
早く服を着ろ、服を…!
いや、わたしが視線をはずせばいいのだ。
だが、どうしても目がいってしまう。
あの胸…。
もう何度顔をうずめたかしれない。
結構平気で…。
ドキンドキンという心臓の音が自分にも聞こえそうだ。
やっとアンドレがシャツをはおった。
前ボタンを順番にとめていく。
そしてジレをかっちりと着た。
完璧な従僕のできあがりだ。
ほっとしたような、少し惜しいような複雑な気持ちがオスカルを包んだ。
大きく息を吸い、一気に窓をあけるとアンドレに向かって叫んだ。
「アンドレ、起きたか?いつ帰ってたんだ?」
突然声をかけられ驚いたアンドレがこちらを見た。
「すぐ支度してそっちへ行く」
と大声で返事をして、アンドレの姿が窓辺から消えた。
すぐというから、急いで着替えたのに、アンドレはなかなか来なかった。
何をしてるんだと、いい加減いらいらしてきたとき、扉が開いた。
ワゴンに朝食を一式のせてアンドレが入ってきた。
先ほどのことを思い出し、顔が赤くなっていないか心配で、わざと目をそらして言った。
「ああ、メルシー。持ってきてくれたのか?」
「夕べの残り火で、まだここだけは暖かそうだからな。すぐに薪を足そう」
「おまえは食べたのか?」
「あとでコゼットたちと一緒にとるよ」
そういうと、早速アンドレは暖炉のそばで薪をくべ始めた。
その後ろ姿に、
「ラソンヌ先生のところでは、いつもクリスと二人で食べていたんだって?」
と、聞いた。
びっくりして振り向いたアンドレは、
「あのときは包帯でなにも見えなかったからな。ひとりでは無理だった」
と、オスカルの真意をはかりかねて答えた。
「おまえ、クリスとは随分親しそうだな。ディアンヌの件もすぐに頼んだし。忙しいはずの
彼女も二つ返事でおまえの頼みを聞いてくれて…」
「彼女はしっかりものだからな。いざというとき頼りになるのさ」
アンドレが他の女性を褒めるのが、なんとなく気に入らない。
面白くなさそうに朝食をとるオスカルの向かいに、薪をくべ終わったアンドレが座った。
こういうかわいいオスカルを、もう少し見ていたい気もするが、だんなさまのご忠告に
従うべきだという心の声が聞こえて、アンドレはできるだけ楽しそうに言った。
「おまえ、俺がこれから言うことを絶対他の人に言うなよ」
「…?」
「特にクリスには…」
なんだなんだと、たちまち興味津々のオスカルは、先ほどまでの不機嫌はどこへやら、
しっかりアンドレの話に食いついた。
それにわざと気づかぬふりをしてアンドレは続けた。
「クリスは小柄で、しっかりもので、てきぱきしてて、誰にでも臆せずものを言う」
「まったくだ。おまえに書類仕事をさせたと、わたしもきつく怒られた」
「だが、心根は優しい。困っている人はほっておけない」
「うん。それは認める」
「こんな人、もうひとりいなかったか?」
「え…?」
「俺たちのすぐそばに」
「あ…、ばあや…!!」
オスカルは大声で叫んだ。
「正解」
どうだ、というアンドレの顔を見て、オスカルは笑い転げた。
「あっはっは!そうか。そのとおりだ。ばあやにそっくりなんだ」
アンドレがおそらく一生頭が上がらないばあや。
「小柄で、しっかりもので、てきぱきしてて、誰にでも臆せずものを言う。だが、心根は
優しい。困っている人はほっておけない」
オスカルは先ほどのアンドレの言葉を反すうし、目に涙を浮かべるほど笑った。
「だから俺はあの人には逆らえないし、頼み事もしやすいんだ」
そうだったのか。
オスカルの胸にひっかかっていたものが、ストンと落ちた。
これで気がかりはあとひとつだな。
アンドレの楽しそうな顔を見ながら、次からはアンドレの食事も一緒に用意させて、こ
こで二人で食べよう、とオスカルは思った。