パ リ
第 8 章
別邸に着くと、庭番兼門番のジャコブがびっくりして、廷内に飛んで入り、妻のコゼット
がおろおろと迎えに出てきた。
庭園の片隅に作られた庭番小屋に夫婦は暮らしていた。
日中、ジャコブは庭の手入れを、コゼットはほこりがたまらないよう、定期的に部屋の
掃除をしていた。
まだジャルジェ家の人がよくパリに出入りしていた頃から、この夫婦はここに住んでい
たが、しばらく見ないうちに、すっかり歳が行き、ふたりとも髪に白いものが混じるよう
になっていた。
オスカルがなつかしそうにコゼットに声をかけた。
「突然ですまないな。一週間ほどここで過ごしたいのだが」
「まあまあ、どうしましょう。おいでになるとわかっていましたら、食料も薪もたんと用意
いたしましたのに…」
「ほら見ろ。今晩の夕飯だっておぼつかないぞ」
アンドレがそらみたことか、という顔をしたので、オスカルは
「わたしは、そんな大層な用意をしてもらわなくとも良い。これでも軍人だ。野営だと
思えばいい」
と、にらみ返した。
「とにかく、中にお入りくださいまし。オスカルさまのお部屋はちょうど昨日お掃除した
ところです」
と、コゼットに言われ、二人は廷内に入った。
きまじめできちょうめんなコゼットのおかげで、お化け屋敷とはほど遠いこぎれいな室
内に、今度はオスカルがそらみたことか、とアンドレを見た。
ジャコブはとりあえず今晩の薪を割りに庭に出て、コゼットはお茶の用意だけ手早くす
ませると、夕食の買い出しをしてくると言って、出て行った。
「さて、俺は今からベルサイユに戻ってくる。だんなさまにもご了解を頂かないといけ
ないし、おばあちゃんにも…。どうせ旅行に行くつもりで荷造りはできているから、それ
も取ってこよう」
と、アンドレは一気にお茶を飲み干すと立ち上がった。
「帰るのか?」
驚いてオスカルはカップを置いた。
「ああ、今晩のうちにはここへ戻るつもりだが、遅くなるだろうから、おまえはゆっくりし
てろ。夕食には間に合わんだろうし…。まったく、えらいことを思いついてくれたもんだ」
と言いながら、だが決して怒っているわけではないようなのが、オスカルにもわかった。
「わたしも一緒に…」
と言いかけたが、ここに留まる理由が、いつフランソワから連絡があるかもしれない、
というものだったから、のこのこと二人そろってベルサイユに戻るわけにはいかなか
った。
自分で言い出しておきながら、こんな展開を予測できなかったことが悔やまれた。
アンドレは右肩に脱いだ上着をかけ、扉に手をかけた。
急に心細さがオスカルを襲った。
「アンドレ」
呼ばれてアンドレが振り向いた。
しばらく見つめあった後、互いの手を握り、どちらからともなく口付けをかわした。
「できるだけ早く戻る。酒には手を出すな」
と優しく微笑むと、アンドレは出て行った。
酒に手を出してほしくなければ行くな、と言いたかった。
言えば良かった。
だが自分で蒔いた種だ。
今夜はひとりおとなしくしていよう。
どこまで実践できるか自分でも保証できないが、とりあえずオスカルは自分に誓って
みた。