パ  リ

第 9 章

アンドレはベルサイユの屋敷に戻ると、すぐにだんなさまの部屋に伺候し、非常事態
発生のため、しばらくパリの別邸に滞在する旨を報告し許可を得た。
午前中に衛兵隊員が血相を変えて屋敷に来たことは知れ渡っていたから、だんなさ
まも詳細を聞こうとはされなかった。
ただ、
「パリはぶっそうだ。頼むぞ」
とだけお言葉があった。
アンドレはそれを深く胸に刻んだ。

おばあちゃんも、オスカルがひとりで別邸にいると聞くと、
「あんなところにお嬢様をお一人にするなんて。おまえ、ゆっくり食事なんかしてるんじ
ゃないよ。さっさとパリへお戻り。しっかりお守りするんだよ」
と追い出さんばかりだった。
さすがにそれはかわいそうだと、奥さまがアンドレに夕食をとらせるよう命じてくださり、
「パリの屋敷は女手がないから、大変でしょう。誰か侍女を連れて行きますか?」
とおっしゃってくださったが、奥さまが名前をあげた侍女はどれもなぜか年輩で、役に
立つどころかかえって大変そうだったから、アンドレは丁重にお断りした。
「ほっほっほ。それではアンドレ、あなたは侍女役もしなくてはならないわね。あの子
をよろしく。聖誕祭までには必ず戻るよう、伝えてちょうだいね」
と、上機嫌の奥さまの横で、もしかしてパリにアンドレと一緒に行けるかもしれないと、
一瞬期待した若い侍女たちが残念そうに顔を見合わせていた。

今日パリへ向かうのは、これで二回目だ。
ジャルジェ家の使用人用の質素な馬車に、旅行の荷物を積み、御者席で馬を御しな
がら、アンドレは、ディアンヌのことを考えていた。
報われなかった愛に殉じて死のうとしたディアンヌ。
彼女の気持ちが自分には痛いほどわかった。
いや、自分は死ぬ前にオスカルを殺そうと思っていたのだから、ディアンヌよりもずっと
始末が悪い。
相手の幸せを願えと、えらそうには言ったが、オスカルが生きてこの世にあることだけ
で幸せだと思えるようになるまでに、どれほどの葛藤と逡巡を繰り返したことだろう。
何があっても守ってやると、心底思えたとき、初めて自分は自分から解放された。
恋の呪縛から解き放たれ、愛の恩恵にあずかった。
別邸を出る自分に向けられたオスカルの瞳は、そしてその唇は、自分などに与えられ
るにはあまりにも気高いものだと思われた。
長い長い片恋の果てに手にした至高の宝石。
いつか、ディアンヌにもこの幸福が訪れるよう、アンドレは心から祈った。