※このお話は「舞踏会の奇跡の続きです。
悲劇は突然襲ってくる。
フェルゼンは、そのことを、現実の頭部の痛みとともに痛感した。
オスカルに別れを告げようと衛兵隊を訪ねたため、そして豪華な馬車でどこに行くのだろうと案じたため、みすみすアンドレになってしまった。
宮殿の広場ではスウェーデン部隊が司令官の帰りを待っているはずだ。
とにかく元の姿に戻りたい。
フェルゼンは頭を押さえつつ立ち上がり、自分の姿で倒れているアンドレに近寄った。
アンドレはまだ意識が戻っていないようだったが、この際そんなことは問題ではない。
すまないが、わたしは戻るぞ、と心で叫んだ瞬間、誰かに肩を引っ張られた。
「大丈夫か?アンドレ」
声の主は、衛兵隊の兵士だった。
長身で黒髪のこの男は確かアラン・ド・ソワソンだ。
何度かアンドレと入れ替わって衛兵隊での生活を体験したので覚えている。
「倒れているのは陸軍連隊長だろ?救護班を呼んでこようか」
親切な申し出だが、とんでもない。
「えっ…、いや、それは…」
どうせ呼ぶなら元に戻ってからにしてくれ。
とは言えず、もごもごしているとアランは「おーい!」と大声で仲間を呼び始めた。
「や、やめてくれ!」
フェルゼンはアランの肩をつかんだ。
「何しやがるんだ?!」
アランがフェルゼンの手を振りほどこうと向きを変えた瞬間、フェルゼンをめまいが襲った。
先程の頭部激突の後遺症が時間差で出たらしい。
そのままゴチンとアランにぶつかって地面に倒れた。
アランも否応なく巻き込まれて倒れた。
フェルゼン、本日二度目の失神である。
馬車のそばで、アンドレ、フェルゼン、アランの三人の男がひっくり返っているわけだ。
間違いなく異常な光景である。
だが、たまたま周辺に人がいなかった。
馬だけが見ていた。
やがて一番最初に気づいたのはフェルゼンだった。
フェルゼンは、気力で立ち上がった。
すると、頭部の痛みがさっきよりマシになっている。
二度打ったはずなのに…。
顔を上げると、眼前に二人の男が倒れたままだった。
一人はフェルゼン、一人はアンドレだった。
え?
ということは、自分は誰になったのだ?
言うまでもなかった。
アンドレと同じ軍服を着た男、アラン・ド・ソワソンだ。
えー?
思わず声が出た。
出さずにはいられなかった。
いったい誰が誰になっているのか。
さっぱりわからない。
ゆっくり考えてみよう。
とりあえず、自分は間違いなくハンス・アクセル・フォン・フェルゼンだが、外見はアラン・ド・ソワソンになっている。
そして、フェルゼンの格好をして倒れているのはアンドレ・グランディエだ。
これは最初の衝突のまま変わっていない。
とすると、アンドレの姿だった自分とぶつかって入れ替わったわけだから、外見アンドレで倒れているのがアラン・ド・ソワソンということになる。
フェルゼンはアランに、アランはアンドレに、アンドレはフェルゼンに変わってしまったのだ。
ああ、ややこしい。
もう一度整理しよう。
中身フェルゼン→ 外見アラン
中身アラン→外見アンドレ
中身アンドレ→外見フェルゼン
驚愕した。
三人が三人、三つどもえで入れ替わっているのだ。
そんなことが…
うそだ!
そんなことが…!!
フェルゼンが呆然と立ち尽くしていると、外見フェルゼンがうめき声を上げた。
これは中身アンドレだ。
彼は起き上がり、自分の格好を確認し、それからぶちぎれた。
「どうして!」
そして、隣で倒れている外見アンドレにつかみかかり「起きろー!」と叫んだ。
「フェルゼン伯爵、どうして来たんですか?あれほど近づかないと決めたのに…!」
涙声である。
気持ちはわかる。
だが、アンドレ、違うのだ。
そこで倒れている外見アンドレは,フェルゼンではないのだ。
外見アランである中身フェルゼンはアンドレを制した。
「アンドレ、違うのだよ」
「何が違うんだ?」
中身アンドレがくってかかる。
「え?アラン、何が違うんだ?」
「わたしはアランではない。こんな格好をしているが、わたしがフェルゼンだ」
「!」
「きみが倒れている間にアランがやってきて、救護班を呼ぼうとするものだから、止めようとしてもみ合いになった。そしたら頭をぶつけて、気づいたら今度はこの男と入れ替わっていた」
「えー?」
中身アンドレも大声を出した。
出さずにはいられないだろう。
「じゃあ…、ここで倒れている俺は、アランだって言うんですか?」
「そういうことだ」
「冗談じゃない!すぐにも戻りましょう。おい、アラン、起きろ!」
中身アンドレは一層強く外見アンドレ中身アランを揺すり始めた。
ぐらぐらと身体が揺れて、意識が戻り始めたのだろう。
外見アンドレ中身アランが目を覚ました。
「うっせーな!なにしやがる?」
威勢良く怒鳴った外見アンドレ中身アランは、それからキョトンとして相手を見た。
立派な軍服の御仁が血相変えて自分を揺すっているのだ。
「あんた、さっき倒れてただろ?え?なあ、アンドレ?」と言いかけて彼は絶句した。
フェルゼンの隣で心配そうに自分を見つめているのは、まさしく自分なのだ。
「えー?」
どうして俺がそこにいるんだ?
俺って双子だったか?
そんな話、お袋からは聞いたこともないぞ。
「アラン、落ち着いて聞いていくれ」
外見フェルゼン中身アンドレが語りかけた。
「ここに立っているアランの姿をした男、こちらがフェルゼン伯爵だ。そしてフェルゼン伯爵の格好をしている俺がアンドレなんだ」
「…あんた、大丈夫か?何言ってるかわかってるか?」
「いや、混乱するのは無理もない。だが、おまえ、今、視界が狭くないか?その馬車のガラスに映る自分の姿を見てくれ」
言われるままによろよろと立ち上がったアランは、確かに周囲が見えづらいと思いながら馬車の窓の前に顔を寄せた。
そして叫んだ。
「えー!!」
アンドレが映っていた。
だめだ。
許容限界量を完全に超えた事態だ。
アランは打撲の痛みと、ことの異常さに立ちくらみをおこした。
フラフラと再び倒れそうになるアランを、両側からアンドレとフェルゼンががっしりとつかんだ。
「アラン、倒れている場合ではない。とにかく急いで元の姿に戻らねばならん」
「ど、どうやって…?」
「もう一度ぶつかるのだ」
「そうだ、それしかない。わたしは国に帰らねばならないのだ」
「俺だってオスカルのお供でパリの留守部隊まで行かねばならない」
「わ、わかった」
「では手順を言うぞ」
アンドレが説明を始めた時、衛兵隊本部の扉が開きオスカルが出てきた。
「待たせたな、アンドレ」
同時に騎馬兵が近づいてきて、叫んだ。
「フェルゼン伯爵、御出立の時間です!すぐにわたしの馬にご同乗下さい」
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