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このお話しは「パリ巡回」あたりのものです
「あの家、絶対おかしいよ!」
ジャンがめずらしく大きな声を出した。
ショセ・ダンタン通りにある留守部隊の詰め所では、巡回から戻ってきた兵士たちがしばしの休息をとっているところだ。
「聞いてるの?アラン!」
フランソワもイライラとした様子でアランの肩をつかんだ。
「うるせーな…。単なるおまえらのカンだろ?そんなもの信じて、もう一回巡回に出られるわけねーだろ」
ただでさえ、人員不足なのだ。
勝手な行動は隊長の機嫌を損ねるだけで、間違っても褒められはしない。
加えて、要らぬ仕事を増やしてわざわざ疲れたくはない。
午前中いっぱい市内を歩き回って、やっと戻ってきたのだ。
何を好んでもう一度…、とアランは思っている。
「だって…、絶対変なんだよっ!」
「アランだって見ただろ?」
「何を?」
「だから〜、あの家の窓だよ」
フランソワは机にパリ市内の地図を広げ、その中の一点を指さした。
「ここ!」
首根っこを掴まれそうになったアランは渋々視線を地図に落とした。
セーヌ河から何本か路地を入った下町の一角だ。
商人の多く住むところで、店舗も多い。
貧民街というわけではないが、貴族や富裕層は住まない。
「この辺は、まともなほうが少ないんだよ。怪しいってんで首突っ込んだら、そのうち抜けなくなるどころか、胴体から切り離されちまうぜ」
恐ろしげな台詞でフランソワとジャンをあきらめさせたい魂胆が見え見えだが、この二人もパリ生まれのパリ育ち。
アランのいい加減な発言に露骨に顔をしかめた。
「いいよ、もうアランには頼まないから。ジャン、隊長に直接話をしよう」
フランソワが広げた地図をかたづけだした。
「おいおい、やめた方が身のためだぜ、どうせどやされて終わりさ」
「あっ、隊長が戻ってきた!」
廊下の話し声に鋭く反応し、フランソワは地図を抱えて部屋を飛び出した。
ジャンも後に続く。
もうアランのことは眼中にないようだ。
アランはため息をつき、それからよっこらしょと腰を上げた。
二人が開けっ放しにして行った扉を後ろ手にしめて廊下に出る。
すると、オスカルとアンドレが急ぎ足で救護室に入っていくのが見えた。
ジャンとフランソワはホールで立ち尽くしている。
「どうした?」
少し小走りで二人の元に近づいた。
「アンドレがケガしたんだって」
「アンドレが?」
隊長ではないと知って安堵する。
「なんか手のひらを押さえてた」
「ふん!自分の足で歩いてたんだから、どうせ大したことはないんだろ…」
と言いつつ、アランはその場を動かない。
明らかに救護室の扉が開くのを待っている。
何かとめんどくさい性格だ。
フランソワとジャンは目を見合わせ、ニヤリと笑う。
それに気づいたアランが拳を上げたところで、扉が開いた。
すぐに視線を走らせる。
アンドレの手に包帯が巻かれていた。
アランの拳をスルリとかわしたフランソワが駆け寄っていく。
「アンドレ、大丈夫?」
心配そうな年下の同僚にアンドレは優しい微笑みを返す。
「ああ、心配ない」
「おまえ、あの軍医の言うことを信じるのか?」
オスカルがとがった声を出す。
「しっ!軍医どのに聞こえるぞ」
アンドレが慌てて扉の前を離れ、ホールに移動する。
そこに、ジャンだけでなくアランもいることに、アンドレは少し驚いた。
「とりあえず、あとでラソンヌ先生の所に行け。そこで大丈夫と言われればわたしも信用する」
身も蓋もない言い方だが、ここの軍医がアテにならないのは常識だった。
本当に医術の心得があるのか、とアランなどは日頃からあからさまに侮蔑している。
そもそも、アランの降格の原因となった、前隊長への狙撃事件。
これは、実はあごをかすった程度のものだった。
アランにすれば、妹に手を出そうとしている現場を見たのだから、殺意に近い怒りを感じたのは事実だが、ちょっとけがをさせれば怖じ気づいて逃げ出すシケた奴だと看破していたから、狙いはあくまで脅しという発砲だったのだ。
ところが、かすったところからの出血がひどかったため、無能な軍医が過剰に反応した。
さらに、手元を狂わせ縫合し損ない、大きく傷跡が残ってしまった。
軍医はその失敗を隠すため、元々銃弾で顎が砕かれていたと診断したのだ。
そこまで藪医者ではあるが、荒くれ者ばかりと悪名高い衛兵隊の軍医など引き受け手がないのだから、いるだけマシというのが、暗黙の了解による軍医の立ち位置だった。
もう少し報酬を引き上げれば腕の良い医師に来てもらえるのだろうが、国家財政は破綻している。
端から無理な話だった。
「切ったの?」
ジャンが背伸びをしながら聞いてきた。
「いや、どうやら火傷らしい」
「火傷?なんでまた…」
「俺にもよくわからないんだが」と言いながら、アンドレは事の次第を語ってやった。
二人は興味津々で聞いている。
俺の指示もそれくらい真剣に聞けよ、とアランは心の中で突っ込んでいた。
だが、話の途中で「それって、ひょっとして…?」とフランソワが大声を出し、畳んでいた地図を広げ始めた。
「このあたりじゃない?」
「うん?どこだって?」
フランソワが広げた地図の一点をジャンが指さす。
「たぶん、そうだと思うけど…」
「やっぱり」
フランソワとジャンが大きくうなずき、そら見ろとアランに目配せをした。
「何か心当たりがあるのか?」
横で黙って聞いていたオスカルが二人を質した。
「はい、それを報告しようと待ってたんです」
「ふむ、ではわたしの部屋で聞こう。こんなところではまともに地図も広げられん。ついてこい」
一同はざわつくホールから司令官室に移動した。
しっかりアランも加わっている。
本当にめんどくさい男だ。
司令官室の中央の大きな机に地図を広げると、フランソワは巡回で見たことを語り出した。