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このお話しは「パリ巡回」あたりのものです
アラン率いる一班を、さらにAとBの二組に分けて巡回を担当していた。
A組はアランを、B組はラサールを組長としており、フランソワとジャンはA組だった。
そしてA組は朝一番で、巡回に出た。
高級街を抜け商業区域を廻り、下町に入る。
先に異変に気づいたのはジャンだった。
女の悲鳴が聞こえた、と言うのだ。
フランソワが、どこ?と言いながら辺りを見回したが、人影はなく、次いで上を見上げると、少し開いた窓から、確かに女の声が聞こえてきた。
なだめるような男の声も聞こえたので、よくある痴話げんかだと思い二人とも通り過ぎかけた。
すでにアラン達はかなり前方に行ってしまっている。
時間がないらしく、先程からアランがかなり急ぎ足になっていて、ともすれば最後尾の二人は遅れがちなのだ。
急いで追いつこうと歩き出すと、何かが激しく窓に当たる音がした。
二人は再び足を止め窓を見上げた。
男の背中が写っていた。
「落ち着いて、頼むからそれをこっちに渡してくれ」
男の声が震えている。
「もうちょっとの辛抱だ。そんなには待たせはしない」
窓際にいる男の必死な声だけが漏れてくる。
やはり痴話げんかだ。
二人は顔を見合わせた。
人生、一度くらいは痴話げんかというものをしてみたいものだ。
相手なくしてできるものではないゆえに、二人はまだ経験したことがない。
そろってため息をついた。
と、ふたたび大きな音。
半開きだった窓が大きく開き、今度は女の背中が見えた。
「帰らせて、こんなところにるいなんていや!」
女が泣きながら叫んでいる。
「いったいどうして隠れなきゃいけないの?ねえ、どうして?」
たたみかける女の問いかけに男が言葉を詰まらせている。
「誰をそんなに怖がってるの?」
「いいから、黙って!大きな声を出しちゃだめだ!!」
そう言う男の声もかなり大きいことに、本人は気づいていないようだ。
「誰に聞かれるって言うの?」
「静かに!衛兵隊が巡回してる」
窓の下の二人に、「衛兵隊」という言葉が確かに聞き取れた。
「衛兵隊にばれちゃまずいことしてるのかな?」
ジャンがつぶやいた。
「そうとしか聞こえないよな」
フランソワがうなずいた。
「とにかくアランに報告だ」
二人は駆け足でアランに追いついた。
だが、アランはまったく取り合ってくれなかった。
今日のアランはいつにもましてカッカと来ていて、誰の言葉も聞かないのだ。
理由は簡単で、班を二つに分けられたからだ。
休みを取れるようにとの隊長の配慮のはずだったが、アランにはラサールがB組の組長に任命されたことが気に入らないらしい。
一班は一班なんだ。
ちょっとくらい休みが無くたって12人一緒がいいんだよ。
ふん、ラサールの野郎が組長なんてガラかよ。
心中、休みなく毒をはき続けてる彼は、聞く耳を持たず詰め所に引き上げてしまった。
フランソワの話を一通り黙って聞いていたオスカルが、眉間に皺を寄せたままアランに目をやった。
「アラン、おまえは班分けに反対だったのか?」
アランが舌打ちする。
「今の報告聞いて、質問がそれかよ…」
オスカルの隣で、珍しくアンドレがアランに賛同してうなずいている。
「ん?ああ、悪かった。フランソワ」
オスカルはフランソワに視線を移した。
「その場所は確かにアンドレがケガをした場所と同一なのだな?」
隊長の質問にフランソワは大きく首を縦に振った。
「男と女が言い争っていた。女は衛兵隊に聞かれてはまずいことで身を隠さねばならない事情があった。そしてどうやらその部屋には劇薬が置かれていて、誰かがそれを窓から捨てた」
オスカルが淡々と事実を列挙した。
「とりあえずわかっているのはこれだけだ」
「なにがなんだかさっぱりだな」
アランが口を尖らせた。
「ひとつ気になることがある」
アンドレが珍しく意見を言った。
「もし犯罪がらみなら、聞かれてまずいのは ジャンダルムリ(警察)のはずだ。だが、男は衛兵隊が巡回してるって言ったんだよな?」
「そう、間違いなく衛兵隊が巡回してるって言った」
「最近は治安が悪いからジャンダルムリはどんどん増強されている。人数的には俺たちよりずっと多いはずだ」
「そうか。なぜ衛兵隊に聞かれてはまずかったんだろうな。 ジャンダルムリならばかまわなかっのたか…」
オスカルは口をつぐんだ。
「なんだか余計になにがなんだかだぜ」
アランが混ぜっ返した。
「まったくだ。だが放置もできまい」
「もう一度、あそこに行こうよ」
フランソワがめずらしくきっぱりと隊長に進言した。
オスカルは隣に立つアンドレを見た。
「フランソワに賛成」
アンドレは片手を軽く上げ微笑んだ。
「お、おれも、賛成」
ジャンがアンドレにならった。
「多数決かよ。なら、賛成の奴だけで行ってくれ」
アランが椅子に座ったまま、足を組み直した。
「よし、ではそうしよう」
オスカルが立ち上がった。
「アンドレ、フランソワ、ジャン、ついてこい」
わざわざ三人だけの名前を呼んだオスカルの後に、呼ばれた三人がきびきびとつづく。
取り残されたアランは呆然としていたが、やがて「議決ってのは決まったら従うもんだからな…」とぶつぶつ言いながら司令官室を出て、三人の後ろについた。
ショセ・ダンタン通りは高級住宅街の部類に属し、貴族の邸宅も多い。
貴族でありながら平民から議会に立候補しているミラボー伯爵の屋敷もこの通りにある。
そこからはずれること15分。
周囲の雰囲気がすっかり変わり、下町の色が濃くなった来た頃、日が落ちて辺りの薄暗さが増した。
「ここだ」
アンドレの言葉に全員が立ち止まった。
「そうだ、ここだよ」
フランソワとジャンが同時に叫んだ。
下水設備の整わないパリでは、上階に暮らす人間が汚水を処理する場合、窓から投げ捨てることがままある。
というかよくある。
そのため、建物は、投げ捨てやすいように、上階ほど通りに出っ張った形の作りになっている。
その典型的な作りの家々が並んでいた。
アンドレはそのうちの一つの窓を指さした。
窓枠が太陽の日差しで焦げて赤茶けている。
「そうそう、あの窓に人影が映っていたんだ」
「おれが顔を上げた時には窓は閉まっていた。きっと投げ捨てた後、すぐに閉めたんだろう」
「とりあえず誰が住んでいるか、聞いてこよう」
オスカルは辺りを見回し、少し先にパン屋を見つけるとスタスタと歩み寄った。
そして一言二言店の主人と話した後、部下の元に戻ってきた。
「もともと空き部屋だったところに最近誰かが入ったらしい。時折男が訪ねてくるのを見かけるが、中の人間が出てくるのを見たことはないそうだ」
「ものすごく怪しいね」
「監禁されてるのかな?」
「それなら窓を開けて助けを呼べばいい。男は常時いるわけではないようだから」
「では何かから隠れてる?」
「あるいは誰かから…」
口々に推理が展開される。
「ぐちゃぐちゃ言ってても始まらん!行くぞ!!」
業を煮やしたオスカルが通りに面した扉を開けた。
薄暗いホールの両側に木製の扉がそれぞれ一つずつあり、突き当たりには廻り階段がついている。
「二階だな?」
オスカルの問いかけに、アンドレとフランソワがろってうなずく。
一同は少し早足になりつつ上がっていった。
ここも一階と同じく階段ホールの左右に木製扉がある。
「どっちだ?」
オスカルがアンドレの顔を見た。
「右側だ」
「よし!」
オスカルは右側の扉ををどんどんと叩いた。
「誰かいるか?衛兵隊だが、聞きたいことがある。この扉を開けるんだ」
だが反応はない。
オスカルは拳を打ち続けた。
ほどなく反対の扉から老婆がおびえながら出てきた。
「誰も出てきやしないよ」
ぼそりとつぶやく。
「どういうことだ?」
「ワケありなんだろうさ…、絶対に中から開けることはないんだ。ときどき鍵を持った男が来て、そいつだけが出入りしてる」
「だが、誰かいるのはまちがいないんだろう?」
「ああ、若い娘がいるはずだ。越してきた時に見たからね」
「いつのことだ?」
「去年の暮れだったか…」
「ではもう3カ月もこの状態か?」
「そういうことになるかねえ…、とにかくあんたたちがどんなに呼んでもその扉は開かないよ。うちはじいさんが寝てるんだ。ここで騒ぐのやめておくれ。どうしてもここに入りたいならあの男が来るのを待つしかないね」
そう言うと老婆は自分の部屋に戻っていった。
「ふむ…。さて、どうするか」
オスカルは考え込んだ。
フランソワとジャンも思わぬ展開に沈黙以外手がないらしい。
そのとき、中から窓の開く大きな音がした。
とっさにアランが駆け下りた。
「窓から逃げる気だ!」
オスカルの指示にアンドレも急いでアランに続いた。
通りに出て見上げると、案の定窓が開いている。
だが誰かが飛び降りた形跡はない。
「アンドレ、窓の影に女がいるぞ」
アランとアンドレに続いて駆けおりてきたオスカルが声をひそめる。
「やはりいるんだな」
「逃げたいが、二階から飛び降りる勇気はないということか…」
「賢明な判断だ」
フランソワとジャンも通りに出てきて窓を見上げた。
「あの女、朝いた女だよ、服の色が同じだから」
得意げにフランソワが断言する。
その声が聞こえたのだろう。
女は窓際から離れ、奧に姿を隠してしまった。
その後ろ姿に向かって、オスカルが大声で呼びかけた。
「マドモアゼル!少しお顔を見せていただけないか?われわれは衛兵隊のものだ。あなたはなぜわれわれから隠れなければならないのだ?もし屈強な男どもが怖いというなら私一人が話を聞こう。こう見えてもわたしは女だ。あなたの力になれると思う」
アンドレを筆頭に、男たちは全員のけぞった。
このメンツで、屈強という範疇に入るのは、たぶんアランだけだ。
アンドレは確かに長身だが、そういう部類ではない。
フランソワとジャンに至っては、むしろ軟弱と言って良いだろう。
「色んな意味で一番怖いのは隊長だと思うけどな…」
ジャンがポロッとこぼした。
それを完全に無視し、オスカルは続けた。
「今からもう一度わたしだけが上がっていく。だから安心して扉を開けなさい」
屈強な?男達に「その場で待機」を視線だけで命じると、オスカルは再び建物の中に入っていった。