清    流

三部会が開会直後から混乱を極めた最大の原因は、議決の方法にあった。
5月5日の盛大なる開会式の翌日には、各部会の代表はそれぞれ別の部屋を割り当てられ、代表としての資格審査が行われる予定だったが、第三身分がこれに異を唱えた。
彼らは、合同審査を要求し、定められた部屋ではなく、開会式場となったムニュ公会堂に集合したのだ。
部会別の評決なら、第一身分と第二身分で決定されたことが多数となり、彼らの意見が通る。
だが、議員全員での多数決なら、第三身分は第一第二身分を足した人数を擁しているため、幾人かを自派に呼びこめれば、意見を通すことが可能となる。
この第三身分の強固な主張に対し第二身分が断固反対し、開会はされたものの、三部会は実質的な議論に入ることができなかったのだ。
膠着状態を見かねた第一身分の僧侶議員が、第二身分の貴族議員と第三身分の平民議員の仲介にたち、何とか開催に向けて調整中、というのが5月初旬の現状だった。

衛兵隊は、したがって正確には、三部会出席議員の警護ではなく、三部会開催の条件闘争中の議員の警護をしていることになる。
「せっかく代表まで選んだのに、会議が一向に始まらないなんて、あんまりだ。」
「そうだよ。初めて俺たちの意見を言える場所ができたはずなのに…。」
常時武器携帯を命ぜられ、警備にあたる衛兵隊の面々にも、会議の状況が明らかになるにつれ、いらだちがつのった。
フランソワがラサールに愚痴をこぼすと、ラサールも全く同感だ、と勢いよく返した。
「それにさ、会議が長引けば田舎から来ている代表は、手持ちの資金が底をつく。干上がってしまうんだ。」
フランソワがどこで仕入れたのか、現実的な批評をラサールに聞かせた。
「そうか、そいつは一番こたえるな。」
「だろ。貴族の奴ら、グズグズせずにとっとと妥協しろってんだ!」
「仲介の坊さんたち、もっとしっかりがんばってくれないかな。」
「まったくだ。」

声が高くなった二人の少し背後を、気づかれずにそっと通りながら、オスカルは微笑んだ。
「兵士達もいっぱしの評論家だな。」
「ああ、なかなか鋭いところをついている。」
アンドレがうなずいた。
開会からすでに10日余りがたっている。
僧侶議員は、地方の貧しい教区の司祭たちが三分の二をしめており、立場的には、実は平民議員と大差ないため、合同部会を開催できれば、そちらへ合流する可能性のあるものは結構な数になった。
僧侶議員に期待するというラサールの意見は至極最もなものなのだ。
「膠着状態が続くと、人間というものは閉塞感から一気にことを運んでしまう。しかもその暴発がいつ来るかわからんのだから、警備を担当するものとしては、気が抜けない。」
軍服の詰め襟に手をやり、オスカルは少し隙間を空け、ホーッと長い息をはいた。
「とりあえずそれが今日、明日ということはなさそうだ。警備の数を少し減らし、兵士の体力を温存できるよう、今の内に交代で休暇をあたえてやったほうがいい。」
開催前の準備も含めればすでに20日近く、ほとんど無休状態の兵士たちである。
アンドレの冷静かつ現実的な分析にオスカルは同意した。

司令官室に戻ると、オスカルは急遽、人員配置表を作り直した。
そしてダグー大佐を呼び、明日からの一週間は警備体制を若干変更すると告げた。
「なるほど。少し体制を緩和するということですな。兵士の心身の緊張も、さすがに限界に近づいておりますからな、これはありがたい。」
一覧表に目を通したダグー大佐はすぐさま賛同した。
さすがに目の付け所がアンドレと一緒だな、とオスカルは密かにニヤリとした。
そろって自分の側杖を食う二人は、指揮官の参謀としては甲乙つけがたい才の持ち主だ。
自分の行き届かないところを充分に補足してくれる。
近衛にいるときよりも人材には恵まれているかもしれん、と思うとすこぶる気分が良い。
実際、職分に目覚めたアランを筆頭に、兵士たちの働きは目を見張るものがあり、士気も高く、馬上から眺める彼らのきびきびとした姿に、オスカルは幾度も勇気づけられた。

「では、早速、隊長から範をお示し下さい。」
ダグー大佐が進言した。
「…?どういう意味かな?」
オスカルが目をパチクリさせた。
「彼らは、かつてないほどはりきっておりますので、突然休暇をやる、と言ってもすぐには承知いたしますまい。内心、喉から手が出るほど欲しい休暇ですが、あれはあれで仲間に対する見栄もありますからな。」
したり顔で大佐が衛兵の心理解説を披露した。
「なるほど。」
そういうものか、とオスカルは興味深げに大佐の話に耳を傾けた。
「そこで隊長自らお休みいただく。これで兵士は遠慮なく休めるというわけです。」

アンドレは心中、ダグー大佐に手を合わせた。
大佐の頭上に後光がさしている、と半分本気で思った。
実は、オスカルに兵士の休暇を提案した本当の理由は彼女を休ませたいという切なる願望からにほかならない。
一触即発の危機的状況に突入すれば、一瞬の気のゆるみも許されない。
もちろん休暇など夢のまた夢であろう。
だが、議会が議論すら始められない今なら、少しは時間を確保できるはずだ。
いや、今しかないとさえ言える。
それを兵士を建前にして、いかにも軽い口調でオスカルに言ったのは、彼女にはそのような心遣いがかえって負担になると思ったからだった。
その自分の配慮を瞬時にくみ取り、自分からはなかなか言い出せなかったオスカル自身の休息を、ダグー大佐はごく自然に切り出してくれた。

「大佐の助言はいつも珍重する。わたしではなかなか思いつかないことだ。」
オスカルはあっさりと大佐の進言を容れた。
「恐縮です。実を申しますと、この状況は老体にはなかなか厳しいものでして、隊長がお休みくだされば私もまた休みやすい…と。いやはや…歳はとりたくないものですな。」
大佐が照れくさそうに笑うのを見て、アンドレは、このようにこそ歳はとりたいものだ、と心底感じ入った。
決して押しつけがましくなく、かといって上から導いてやるというのでもない。
山肌を流れてきた清流が、川筋のほんの少し際にわずかに掘られた水路に自然に吸い込まれるように、大佐はオスカルという清流の岸辺をちょっとだけ掘ってくれた。
この小さな水路は休息というため池につながっていて、知らぬ間にしばしそこでよどむことができる。
そして骨休めがすめば、また水路を通って元の流れに戻ればよいのだ。
清流は水路からため池に導かれ、しばしよどんでから本流に戻ったことに、気づきさえもしないだろう。
まして水路が誰かによって掘られていたなど思いも及ばぬことに違いない。
それほどそれは自然なものとして用意されたのだった。

「では本日の解散時にこの新しい配置を私の方から発表いたします。ああ、アンドレ。君も当然隊長と行動を供にしてくれたまえ。補佐役が別行動は困るからな。」
ダグー大佐は、にっこりとアンドレに指示し、オスカルが書き上げた一覧表を持って、退室した。
深い感謝を込めてアンドレは敬礼で大佐を見送った。
清流は、同類を呼び寄せるのだろうか。
大佐のたたずまいの清らかさが、そんなことを思わせた。

「さて、思わぬ休暇がとれたぞ。」
オスカルは几帳面に座っていた姿勢を崩し、足を組んだ。
「良かったな。」
アンドレは嬉しそうに微笑んだ。
「休むに当たっては色々準備もいるから、明日というわけにはいかんが、三日後くらいにはなんとかなるだろう。」
と言いつつ、オスカルは足に続いて腕を組んだ。、
「今から必死でがんばれば明後日には空けられる。」
アンドレはオスカルの日程表とにらめっこしながら答えた。
「そんなに無理すると、休暇の前に倒れるぞ。」
オスカルが冷やかすが、アンドレにしてみれば、たとえ自分が倒れても、彼女の休暇を確保したいというのが本音である。
自分の机に戻り、無言で予定を立て始めた。


カチャカチャという音がしてハッと顔を上げると、マグカップが差し出された。
なみなみと紅茶が入っている。
お湯の量が多すぎる、これでは味が薄くなるぞ、と、無意識に判じてしまっから、さらに目線を上げた。
オスカルが立っていた。
「おまえが煎れたのか?」
思わず聞いた。
「ほかに誰が煎れるんだ?」
「あ…あ。そうか。」
「根を詰め過ぎるなよ。少し休め。」
オスカルの言葉に、アンドレは吹き出した。
「何が可笑しい?」
「いや…。なんでもない。メルシ。」
アンドレはカップを手に取った。

少し休め…。
おまえがそれを俺に言うのか?
おまえが…。
おまえを休ませるために必死の俺に…。
そしてこのお茶を煎れてくれたというのか…。

案の定、紅茶は薄かった。
しかも手際が悪かったせいだろう、冷めてもいた。
「なんだ、これは?異常にまずいではないか!」
オスカルが自分のカップを持ったまま、思いっきり顔をしかめた。
「アンドレ、無理するな。ただの白湯より不味いぞ。」
と、こぼし、一体全体、必要な手順のどこを間違えたのか、と真剣に検討するオスカルを尻目に、アンドレはぬるくて薄い紅茶を、ゴクリと飲み干して言った。
「俺には山奥の清水の味がするよ。」


                                 おわり





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