マロン・グラッセの葬儀はカトリックの作法に則り、厳粛に行われた。
孫であるアンドレの希望は、できる限り質素に、というもので、これはマロンの遺志であった。
そしてオスカルの希望は、できる限り手厚く、というもので、これはジャルジェ家一同の総意であった。
葬送歌が悲しみの中にも美しく歌われ、バルトリ侯爵の依頼した司祭が、質素ではあるけれど手厚いミサを挙行してくれた。
参列者はオスカルとアンドレ、ミカエルとノエル、そしてどんぐり屋敷の使用人たちのほかに、バルトリ侯爵家も総出で列席した。
またジャルジェ伯爵夫人とルイ・ジョゼフの姿もあった。
一連の葬送の儀の間、オスカルの瞳から涙が消えることはなかった。
ばあやの記憶はオスカルの人生の記憶とそっくり重なっている。
ずっと深くて濃い関わりが、続いてきた。
孫とはいえ8歳で引き取られるまで別に暮らしたアンドレより、生まれた時から世話を焼いてもらったオスカルの方が、マロンとのつきあいは長いのだ。
もちろん、その点に関してアンドレと張り合うつもりはないが、喪主を自分ではなくアンドレが務めていることが、オスカルにとっては少なからず寂しい。
ばあやが聞けば泣いて喜びそうな話である。
娘の様子に気づいたジャルジェ夫人がそっとハンケチを手渡した。
その夫人もまた赤い眼をしている。
ジャルジェ家に嫁いだ時、すでにばあやは家政を取り仕切っていた。
働き盛りの元気な中年女性で、分をわきまえている割りに強気で、主人である先代ジャルジェ伯爵やその夫人、そして現将軍にずけずけと進言していた。
最初は驚いたが、すぐにその暖かい人柄に触れて、要するにこの家ではマロンの言うとおりにしていれば間違いないのだと学んだ。
それから四十数年、2人の関係は6人の娘を産み育てる中で、強固になることはあれ、損なわれることはなかった。
オスカルが女として生きることを許されず、それに異を唱えられなかった夫人に対し、マロンはあくまでもオスカルをお嬢さまと呼んで、譲らなかった。
その姿こそが長い間夫人の心の支えであった。
2人は身分を越え、年齢を超えて、同志であったのだ。
夫人の横には、ルイ・ジョゼフがごく自然な姿で並んでいた。
知らない人ならば、きっと祖母と孫だと思うだろう。
夫人は、かつてルイ・ジョゼフの母アンリエットの上司だっのだ。
つまり生前の、フランス在住時代の母を知る貴重な、希少な人物ということだ。
ルイ・ジョゼフは、ともにバルトリ家で暮らすようになってから、しばしば夫人の部屋に出入りし、母の話を聞いた。
夢と希望を持って宮廷仕えをしていた若き日の母の話は、ルイ・ジョゼフの耳に心地よく響いた。
そしていつしか少年はジャルジェ夫人の付き人のように側にいるようになった。
いかに娘一家との同居とはいえ、見知らぬ土地で夫と離れて暮らす羽目になった夫人にとっても、瑞々しい少年との昔語りは心弾むひとときだった。
ルイ・ジョゼフは、そういういきさつで、今日も夫人の付き添いのようにして葬儀に参列していたのだ。
ルイ・ジョゼフ自身は、この大往生を遂げたマロン・グラッセという女性と、これといって関わりがあるわけではない。
共に暮らしたこともない。
面識はもちろんあったが、言葉をかわしたことはわずかしかない。
だが、彼がナポリからフランスに来てのち深く関わることになった全ての人が、この女性となにがしかの絆を持っていた。
恩師オスカルには乳母。
その夫アンドレにとっては祖母。
また日頃世話になっているバルトリ侯爵夫人も、この人をばあやと呼び慕っていた。
そして、最近彼がもっとも近しくしているジャルジェ伯爵夫人が、まるで身内のように大切にしていた。
その人の葬儀である。
ルイ・ジョゼフは葬儀に参列することを当然のように認識していた。
年若い彼ではあるが、実は葬儀はこれが初めてではない。
母を失っている。
そのとき彼はわずか12歳で喪主を務めたのだ。
寂しい葬儀だった。
男爵夫人という地位にあるにもかかわらず、そしてルイ15世の娘であるにもかかわらず、葬儀は密やかに執り行われた。
若い女性が息子ひとりを残して亡くなったという悲劇的状況で、それでも本当に悲しんでいるのは、自分ひとりだ、と確信できるほどに、その葬儀は儀礼的なものだった。
だから、彼は、今日の葬儀に少しばかり驚いてもいたのだ。
なぜなら、亡くなったのは90歳の老婆で、すでに子どもは亡く、孫ひとりがいるだけの寂しい境遇の人のはずだったから。
だが、そうではなかった。
ひ孫が2人もいて、孫の妻の一族がいて、皆が心から悲しんでいた。
義理でお悔やみを言う人は一人もなかった。
それぞれの胸に故人との忘れがたい思い出があるのだろう。
お別れには、随分と時間がかかり、司祭が促すまで、棺の蓋が閉められることはなかった。
人の生き方、そして死に方について、彼は思いを巡らせずにはいられない。
何年生きたか、何歳で死んだか。
それは自分では選べない。
誰の子どもとして、どこで生まれるか。
それも選べない。
けれども、どう生きるかは選択できる。
オスカルがそう教えてくれた。
貴族のさだめとして、誰と結婚するか、誰との子どもを設けるか、それすらも選択できない中で、彼女は自分で選び取った。
アンドレを生涯の伴侶とし、ミカエルとノエルを産んだ。
そういう風に生きることができるのだ。
できるのなら、したい。
自分も、思い通りに生き、そして死にたい。
ルイ・ジョゼフは痛烈に願った。
マロン・グラッセのために、「裁きを下し賜うことなかれ」と祈りを捧げながら、彼は自分のためにも祈っていた。
ミサが終わり、棺は墓場に向かった。
葬列は粛々と進む。
冬の寒さの中で、今日だけは不思議に暖かい。
風がなく、優しい陽差しが差し込んで、あたりを柔らかく包む。
誠実に生きた人を見送るのに相応しい日だった。
天が喜んで彼女を迎えたもうたのだ。
それが、葬列に連なる人々すべての救いであった。
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