シャトレ家

シャトレ夫妻は、パリの下町で周囲の人々に、新聞記者の堅物の夫と、幾分年若い金髪
のかわいい妻、として受け入れられ、仲睦まじく暮らしている。

夫のベルナールは、しばらく姿を見かけなかったが、戻ってきたときには、もったいないく
らいの美人を連れてきていて、しかも妻だと紹介したから、同僚たちには随分とうらやま
しがられた。
当然、出会いのいきさつやら何やら、しつこく尋ねられたが、日頃うるさいくらい雄弁なこ
の男が、こと奥さんに関しては、一切語ろうとせず、奥さんのロザリーの方も、頬を染めて
ニコニコしているだけだったから、そのうち誰も詮索しなくなった。

夫は、貴族の父とその愛人の間に生まれ、やがて父に捨てられた母との無理心中から
かろうじて助かったあげく、黒い騎士として世間を騒がせ、近衛連隊長に捕縛されるは、
短銃で撃たれるは〈しかも撃ったのはかわいい奥さんときている〉、と、さんざんな目にあったことなど、誰にも言いたいわけがない。
まして、妻は、さらに悲惨だ。
由緒ある貴族の父が、若い貴族の娘に手をつけてこっそり産み落とされ、同じ境遇の侍
女が哀れんで、我が娘の妹として引き取って育ててくれたにもかかわらず、その育ての母
は実の母の馬車にひき殺された。
ともに育った異母姉は罪人として業火の中に焼死、ついに名乗ることのなかった異父妹
は意に添わぬ結婚をはかなんで自殺、というようなおぞましい過去を語れるはずもなかっ
た。

夫婦そろって希有の暗闇の過去を背負っているはずのこの夫妻は、しかし、いつも明る
かった。
豊かではない暮らしの中で、互いを思いやり、ようやくたどり着いた穏やかな幸福を、決し
て手放さないよう寄り添う姿は、事情を知らない周囲の者にも何事かを感じさせると同時
に、暖かく見守ってやりたいという思いを抱かせて、二人の新婚生活は、二人にとって一
番有り難い、平凡の中に過ぎていった。

ベルナールが新聞社に出勤するのを見届けると、ロザリーは手早く家事をこなし、近所
の子供を預かるのが日課だった。
パン屋、肉屋、八百屋、などは子供をあずかってやると、皆喜んでくれた上、店の残り物
で悪いけど、といいながら売り物を分けてくれるので、こちらも大助かりなのだ。
幸い、優しいロザリーにどの子もなついて、持ちつ持たれつの近所づきあいにも有益だっ
た。

だが、平穏な二人の生活とは対照的に、8月に三部会開催が決定されてからも、パリの
情勢は悪化の一途をたどり、ベルナールの帰宅は日に日に遅くなっていった。
時には、朝まで帰らない日もあり、子供好きのロザリーを知るおかみさん達から、
「こんなんじゃ、自分の子供を見るのはいつになるやら、だね」
と、からかわれた。

寒い風が吹き付ける中、子供達をそれぞれの家に送り届けたロザリーは、さて、夕食を
一人分にしようか、二人分にしようか、と考えていた。
ベルナールは大食漢だから、彼が食べると食べないとでは、随分作る量が違うのだ。
作りすぎて残るのもくやしいが、要らないと思って作らなかった時に限って、腹ぺこで帰っ
てくるものだ。
今日は肉屋から雌鳥をもらったことだし、肉だけでも焼いておこう、と決心し、下ごしらえ
も完璧に整え、竈に入れようとしたところで、ドアをノックする音が聞こえた。
「もう!こんな時に帰ってくるなんて…」
と、忌々しく思いながら
「ベルナール、今、手が離せないの。ドアは開いてるから勝手に入ってちょうだい!」
と叫んだ。

どうやら、聞こえたらしく、ドアの閉まる音がした。
話し声がしているから、きっと客を連れてきたのだろう。
肉を焼いて大正解だったわ、とほくそ笑みながら、居間に戻ると、そこには、一日たりとて
忘れたことのない、むしろ毎日思い出しては、ベルナールに渋い顔をされている金髪の
憧れの人が、いつものように黒髪の従者、といっても、ロザリーには兄そのものの人とと
もに、にこやかに微笑んでいた。

「やあ、ロザリー」

息が止まった。
心臓も止まったかもしれない。
何よりも、時が止まった。

12歳で出会い、惹かれ、焦がれ、やがて今の平凡な幸福へと旅立たせてくれた、生涯の
恩人。
いや、そのような言葉は無意味だ。
ただ、涙があふれる。
あとから、あとから…。

「あ…あ、また、そんなでっかい目をして、泣き虫だね。ん? いくつになっても…」

その人の声に、息も、心臓も、時も、一気に動き出した。
「オスカルさま オスカルさま オスカルさま!」
あはは…と笑いながら受け止めてくれる腕も胸もそのままで
「おあいしたかった…。なつかしい…、オスカルさまのかおりがします…」
このまま時がとまればいいと本気で思った。
ところが、その人は、すっと自分の肩を押して身体を離し、扉の方を指さして言った。
「あのねロザリー、おまえの亭主はあちら」
そこには嫉妬の炎に焼かれるベルナールがいた。

ひとしきり、互いに握手をしたり、抱き合ったりして、挨拶を交わすと、とりあえず座ろうと
いうことになった。
「休暇中にちょっとやっかいなことがあって、パリの別邸に滞在しているのだ」
と、オスカルがまだ信じられない顔で自分を見つめるロザリーに言った。
「ノエルまでにはベルサイユへ戻るが、せっかくパリにいるなら、ロザリーに会いたいとこ
いつが聞かないものだから…。迷惑がかかってはいけないから、陽が落ちるのを待って
訪ねてきたんだか、夕食時分だろう。すまなかったな」
気配りのアンドレらしい言葉にロザリーは思わず笑みがこぼれた。
「今日は、肉屋のおかみさんが雌鳥をくれたんです。あっ!もうすぐ焼けるわ!」
ロザリーは急いで席を立ち、台所へ走った。
「おやおや」
と、オスカルとベルナールが顔を合わせている。
「食料持参で来たんだ。ロザリー、手伝うよ」
アンドレは足下に置いていた袋を持ってロザリーの後を追った。
残されたオスカルとベルナールは、しばらくぽかんとしていたが、そこは互いに青く熱い者
同士、パリの情勢について熱っぽく語り合い出した



「三部会が開かれる、どうだ? 市民の不満は少しは収まりそうか?」
口火はオスカルが切った。
「ふむ、王家としてはこれ以上ない妥協のつもりだろうが、実際に始まってみないとなんと
も言えんな。第三身分の意見がどこまで取り入れられるか、そこにかかっている」
「なるほど。では、場合によっては、さらに悪化することも想定されるわけだな」
「そうだ。うわっつらだけの妥協じゃ、納得しない。税制、身分制、どこまでつっこんだ話し
合いができるか。貴族や王家にどれくらい身を削る覚悟があるのか…」
難しいだろう、とオスカルは暗澹たる思いに沈んだ。
貴族も王家も特権は神から与えられたものと思いこんでいる。
手放すはずはない。

「では、ベルナール、最悪の場合の予想は?」
「…」
ベルナールは深刻な顔で沈黙した。
国民の不満が行き着くところまで行ったとき、まず憎悪が向かうのは、体制の頂点にいる
者だ。
つまり、国王と王妃である。
目の前の武官は、私服で来ているから、いつもより随分とおとなしく見えているが、そして
、今は衛兵隊に属し、宮廷にはほとんどあがっていないことも聞いてはいるが、以前は近
衛連隊長で王妃の寵臣だった。
国王と王妃を守るために身命を賭して尽くすことが職務だった。
そんな人間の前で言えることか…。

「わたしに言いにくいということは、かなりひどい結果を想定しているのだな?」
鋭い奴だ。
隠してもお見通しということだろう。
「ああ。王制の危機だな」
ずばり言った。
遠回しに言って、事態が変わるわけではないのだ。
今度はオスカルが沈黙した。

「英国の例がある。王を処刑したのち、共和制と言いながら、護国卿の独裁がしかれた」
ようやく口を開いたオスカルの言葉にベルナールははっとした。
英国の清教徒革命のことだ。
150年近く前、隣国イギリスに吹き荒れた革命の嵐…。
「一国の体制を変えるためには大きな力が要る。そしてその力を、完全に制御できる人
材や、制度、組織が要る。無論軍隊も…。護国卿クロムウェルが鉄騎隊を編成し議会軍
の先頭に立った。彼は貴族ではない。
平民でもなかったが…。処刑されたチャールズ一世は謹言実直な人物だったそうだが、
それは彼の命を救うことにはならなかった。しかも、共和制といいながら、クロムウェルの
後は、息子が継いだ。独裁の継承。なんのことはない。新たな王朝ができただけのことだ」
「何が言いたい?」
「結局、英国ではもう一度革命が起きる。ステュアート朝は再び王家として国民に迎えら
れた」
「王制を廃止しても、復活するということか?」
「体制を変えるための力は、あまりに大きく、犠牲もまたそれに比例する。反革命の拠点
と見なされたアイルランドでは一般市民が多数虐殺された。せっかく隣国に事例があるの
だ。そこから学ぶことはできないのか?」
オスカルは透き通るような蒼いまなざしをまっすぐベルナールに向けた。
「誰が学ぶべきなのだ?」
ベルナールは大きな声を出した。
「市民は、そんな隣国の歴史なぞ知らん。明日のパンが欲しいだけだ。学べというなら、
まずは、ご立派な学問を知ってるという貴族の方こそ学ぶべきだろうが…!」

オスカルが手を振った。
「まったくだ。すまなかったな。忘れてくれ」
「いや、こちらこそ、大きな声を出してすまなかった」
ベルナールもすぐに折れた。
こいつには悪意はない。
ただ、真剣にこの国の行く末を案じているのだ。
それは俺たちとなんの違いもない。

「アンドレとロザリーは、まだか?」
オスカルは話題を変えた。
「おまえが来たから、ロザリーも張り切っているんだろう」
「アンドレは器用で料理がうまい。ロザリーと二人ならご馳走に違いないな」
時勢の話題の時にはなかった暖かなぬくもりが、その声に感じられ、ベルナールはいささ
か不思議に感じた。
「こんなことを俺が言える義理じゃないが、アンドレの眼は大丈夫か?」
オスカルの顔色がさーっと変わった。
「アンドレはなんの不自由もないと言っている」
「そうか…」

不思議だ。
ベルナールは自分を狙撃したロザリーと結婚し、アンドレは自分の片眼をつぶしたベル
ナールの妻と、今、台所で仲良く料理をしている。
人は憎しみや恨みをどのように昇華していくのだろう。
アンドレの眼のことで、ベルナールを殺してやると、本気で思ったこともあったのに。
ベルナールの眼も同じようにつぶしてやると…。

「あのとき、おまえは言った。おまえがわたしのアンドレにしたと同じようにしてやる…と」
ベルナールの言葉にあの夜の光景が眼前に広がった。
そうだった。
確かにそう叫んだ。
止めたのは、他ならぬアンドレだった。
「おまえたちは不思議な関係だな。貴族と平民の従者、というふうには見えない」
フフンと、オスカルは笑って立ち上がった。
「では、わたしのアンドレとおまえのロザリーを見てこよう」
あっけにとられたベルナールはあわてて立ち上がり、オスカルとともに台所へ向かった。やはり貴族の考えることはわからん…とつぶやきながら。



「ほんとに助かったわ。アンドレ」
魔法のように次々と食材の出てくる袋とアンドレを交互に見ながら、ロザリーは言った。
食事時の突然の来訪ほど家庭の主婦を困らせるものはないことを熟知しているアンドレ
は、別邸の厨房にコゼットが今晩の夕食用にと買いためておいた材料をこっそり持ち出
してきたのだ。
ジャルジェ家で暮らしていたときには見慣れた食材だが、ベルナールと暮らしだしてから
は、もちろんお目にかかることのない高級品もまざっていた。
台所で並んで、野菜を洗ったり切ったりしていると、ジャルジェ家にいたときを思い出して
、ロザリーは目の前がにじんできてしまい、アンドレに
「ロザリー、しっかり手元を見ないと危ないよ」
と、笑われた。
「ええ、ええ。気をつけるわ」
と言いながら、手元が危ないのは、むしろアンドレの方では…との思いが脳裏をかすめ
た。美しかった黒曜石の瞳は、あまりにも不幸な運命のめぐりあわせで、自分の夫が奪
ったのだ。
そのことをきちんと謝ることすら、自分たち夫婦はしていない。
オスカルの好意に甘え、アンドレの善意に甘え…。
「あの、アンドレ。今頃にごめんなさい。ずっとずっと気になっていたの。あなたの眼のこと
…。ベルナールを許して…ね」
アンドレはびっくりしてロザリーを見つめた。
大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれていた。
「ロザリー。俺はちっとも気にしていない。確かに不自由な時もあったけれど、ベルナール
や、ましてロザリー、おまえを恨んだことは決してない」
恨んだのは運命。
オスカルのそばにいられなくなるという運命。
けれど、だんなさまのはからいで、失明の危機を脱し、あまつさえ、オスカル自身も自分
のものとなった今、何を恨むことがあるだろう。
オスカルと引き替えの左眼だったとしたら、安いものだとアンドレは思う。
「アンドレ…」
ロザリーは包丁をまな板の上に置くと、ヒックヒックと泣きじゃくり始めた。
「だって、だって…」
「ロザリー、泣かないで。ほら、涙が野菜の上に落ちて、塩味になってしまう」
「ええ…ん。アンドレ〜」
アンドレはロザリーの背中にそっと腕を回し、トントンとたたいてやった。
背の高いアンドレがロザリーを抱くと、父親が娘をあやしているように見える。
小さかったロザリーに、オスカルのかわりにダンスや作法や勉強を教えた記憶が蘇る。
オスカルに認められたい一心で、けなげに努力していた頃、うまくいかなくて、こうして泣
いたことが何度かあった。
そのたびにアンドレが慰めてくれた。
父や兄を知らないロザリーにとって、10才近く年上のアンドレは、時に父であり、時に兄
であった。
オスカルへの憧憬とは全く違う、父性への憧れをアンドレはいつも満たしてくれた。
あのころと同じように、アンドレはささやいてくれている。
「ロザリー、大丈夫だよ。なんにも心配いらないよ」
と。



「おい、おれのロザリーがおまえのアンドレと抱き合っているように見えるが…」
台所の入り口で急に立ち止まったオスカルに、ベルナールがつぶやいた。
「あ…あ。わたしにもそう見える」
「ロザリーが憧れていたのはおまえじゃなかったのか?いったいおまえら三人はどういう
関係だったんだ?」
ベルナールはこんがらがった糸がどうしてもほどけないといった面持ちでオスカルの横に
来た。
「わたしも、たった今までそう信じていたのだが…な」
アンドレの胸から泣き顔をようやく挙げたロザリーが、入り口で呆然としいているふたりに
気づき、あわてて涙をふいた。
「まあ、すみません。お料理が遅くて待ちくたびれました?すぐ持って行きますわ」
アンドレも
「ああ、悪かったな。もうできたぞ。なかなかの仕上がりだ」
と、陽気に続く。
やはり色恋沙汰ではないらしいとわかり、オスカルとベルナールは同時にふーっとため息
をついた。

居間へ戻りながら、ベルナールが
「おい、ジャルジェ准将、ロザリーは俺の妻だぞ。なんでおまえまで、そんなにショックを受
けてるんだ?」
と、心底不思議そうに聞いた。
ベルナールは、おまえのアンドレと、言っているくせに、二人の関係には全く気づいていな
い。
オスカルの冗談に調子を合わせているだけで、わたしのアンドレ、というのは、あくまで、わたしの従者のアンドレのことだと思っている。
貴族と従者という固定観念が強固にあって、そういう方向に想像がいかないらしい。
自分に憧れていた少女が、自分でもなく、夫でもなく、自分の従者と抱き合っていたことに
驚いていると、信じ込んでいた。
オスカルはそんな質問に答える気はさらさらない。
ロザリーがアンドレと抱き合っていたのがショックなんじゃない。
アンドレがロザリーと抱き合っていたのがショックなんだ。
などと、言えるわけがない。

テーブルに次々と並ぶご馳走に目を丸くしながら、ベルナールは、生来単純で率直な男
だったから、単刀直入にアンドレに聞いた。
「おい、ひとの女房となんで抱き合ってたんだよ?」
直球、真っ向勝負だな、小気味良いぞ、ベルナール、とオスカルは密かに声援を送った。
すると、アンドレとロザリーはお腹を抱えて笑い出した。
「まあ、ベルナール、何を言っているの?」
「まったくだ。ベルナール。勘違いもそこまでいくと立派だが、まあ、それだけ女房に惚れ
てるってことか」
「勘違いだと…?」
あまりに大笑いの二人に毒気を抜かれて、ベルナールの声が小さくなった。
「タマネギをね、切っていたの。そしたら涙がとまらなくなっちゃって、アンドレがふいてくれ
てたのよ」
「タ、タマネギ?」
「ああ、無理するなって言ったのに、はりきってしまって、目が開けられないって。そのうち
泣きじゃっくりまででてきてしまって、ヒックヒック言ってるから、背中をたたいてやってたん
だよ」

オスカルとベルナールが居間に戻ってから、アンドレとロザリーは台所で急いで口裏を合
わせた。
アンドレの眼のことを話し合っていたとは、オスカルにもベルナールにも知られたくなかっ
た。
それはあまりに微妙な問題で、今夜の楽しい夕餉に小さな影を落としかねないことを、ふ
たりともよくわかっていたからだった。

ベルナールは顔を赤らめて、謝罪した。
よかった、納得してくれて、とロザリーがほっとして、オスカルを見ると、彼女はアンドレを
見ていた。
ロザリーが今まで一度も見たことのない目だった。
アンドレが最後の品をテーブルに置いて、オスカルの隣に腰を下ろすと、待ちかねたよう
に、アンドレの耳に唇を寄せ、何事か、ささやいた。
アンドレがびっくりしたようにオスカルを振り向くと、オスカルの頬が少し桜色に染まったよ
うにロザリーには見えた。
まあ…。
アンドレが何かささやき返したが、オスカルは納得していないようで、桜色の頬が今度は
心持ち膨らんだ。
まあ、まあ…。
ベルナールが、嫉妬から解放されて、上機嫌で時勢の演説を始めていた。
オスカルはうなずきながら聞いているようだったが、心がそこにないことは明らかだった。
まあ、まあ、まあ…。
饒舌なベルナールにはアンドレが適当に合いの手を入れてくれて、ロザリーとオスカルは
あまり口を出さなかった。
にこやかに食事は進み、オスカルがおとなしく聞いていることにさらに気を良くした
ベルナールの舌は絶好調で、アンドレの持ってきたシャンペンはすっかり空になった。



頃合いを見て、アンドレはオスカルを促し席を立った。
ベルナールはテーブルにうつぶしてすでに夢の世界だ。
玄関先で
「突然で悪かったね。だが、おまえが幸せそうで安心した」
とオスカルはロザリーにほほえみかけた。
「オスカルさま、わたしの方こそ、夢のようでした。ありがとうございました」
オスカルの外套を持ってきたロザリーからそれを受け取ったのはアンドレで、オスカルは
当然のごとく、アンドレが自分に着せるのを待っていた。
「オスカルさま、どうかオスカルさまに神の恵みがありますように」
「ありがとう。おまえにも神の恵みがありますように」
オスカルはロザリーの額に口づけをした。
ついで、ロザリーはアンドレに向かい同じように神の祝福を祈った。
そして、アンドレが同じように額に祝福の口づけをしようとしたとき、ロザリーはそっとささ
やいた。
「オスカルさまをお願いね。アンドレ」
黒い瞳が大きく見開かれ、それから
「ああ。大丈夫だよ」
と、いつものように笑った。

オスカルが馬車に乗り込み、御者台のアンドレが馬のたずなを引くと、がらがらと馬車が
動き始めた。
辻を曲がって見えなくなるまで、ロザリーは馬車を見送った。
暖かいものが心の中にじんわりと残った。
それを抱きかかえて、部屋に戻ると、ベルナールが目を覚ましキョロキョロとあたりを見
回していた。
「ベルナール、そんなところで眠ると風邪をひくわ。二階へあがりましょう」
「う…ん。二人は帰ったのか?」
目をこすりながら立ち上がった。
「ええ、たった今。あなたによろしくって」
「そうか、なかなか楽しかったな」
「そうね。とっても幸せだったわ。でも、アンドレはこれからが大変そう。ちょっとかわいそ
うね」
「どうして?」
「オスカルさまに寝かせてもらえないんじゃないかと思うの」
「ああ、そうか。そうかも知れない」
「えっ?ベルナール、あなたもそう思うの?」
この堅物な人が、何か感じて気づいたのかしら? と、首をかしげるロザリーにベルナー
ルは自信たっぷりに言った。
「当然だ。パリの情勢を事細かに教えてやった上、あんな見事な演説を聴かせてやった
んだ。今夜はジャルジェ准将、とくとくと、従者に時勢を論じるだろうよ」
ベルナール!
ああ、ベルナール!
ロザリーはベルナールに抱きつくと
「ほんとに、あなたってば…!大好きよ」
と、目を白黒させている夫に口づけの雨を降らせた。
そして、アンドレ、がんばって誤解をといてちょうだいね、オスカルさまはベルナールと違
って、そう簡単に納得してくださるとは思えないけど…とつぶやき、アンドレの健闘を心か
ら神に祈った。

まもなくノエルという夜、白い雪がうっすらとあたりを覆いはじめていた。

                                                 おわり