着剣完了の報告を受けて、アランは馬上から、ダグー大佐に敬礼した。
「準備完了。ただ今より衛兵隊二個中隊はテュイルリー広場に出動します!」
大佐も馬上から答礼した。
なかなか様になっている。
見事な指揮官ぶりだ。
大佐は密かに感嘆した。
「うむ。武運を祈る。」
心のこもった言葉にアランは涼やかに笑った。
乗っているのはジャルジェ准将から譲られた白馬。
もし准将がいたら、きっとこの馬に乗り、豪華な金髪を翻し、豊かな声量で号令を発したことだろう。
馬とともに託されたものを心に秘めて、彼は全軍に告げた。
「はじめに言っておく。なにがあってもかならず俺についてきてくれ!いいか…。なにがあっても…だ!」
皆がゴクリと唾を飲み込む。
「前進!」
アランは力を込めて叫んだ。
朝から立て続けに三台の馬車が来邸し、ジャルジェ家の門番は大忙しである。
押っ取り刀でかけつけたような勢いは五女ジョゼフィーヌ。
姉と妹のそれぞれに山のような贈り物を用意して来たのは四女カトリーヌ。
そして、急な計画変更に対して明らかに不機嫌そうな長女マリー・アンヌ。
三人がこの順番で、この様相で到着したのだ。
どの人も、おのおのの機嫌を門番にぶつけるようなはしたないことは絶対にないが、門番には手に取るようにわかる三者三様であった。
クロティルドは久方ぶりの姉妹を見て、破顔して駆け寄り、互いに抱き合った。
「もうご出立だなんて。お名残も何もあったものではございませんわ。」
ジョゼフィーヌが泣きそうな顔をしている。
「ではあなたも乗って行けば?」
クロティルドの親切な申し出に、ジョゼフィーヌは派手に首を振って拒否した。
「狭い船中でオスカルと顔つきあわせてなんて耐えられませんわ。」
「まあまあ、あいかわらずね。」
クロティルドはポンと妹の肩をたたいた。
カトリーヌは両手に抱えた箱を差し出した。
「お船で帰るのでしたら、少々積荷が増えてもかまいませんでしょう?ぜひ持って帰って下さいな。」
「ありがとう。結局積荷はございませんの。パリからこちらに届けることができなくて。ですからいくらでも乗せることができましてよ。荷物はあのやっかいなオスカルだけですからね。」
クロティルドの言葉にジョゼフィーヌはコロコロと笑い、カトリーヌも思わず苦笑した。
「出てくるならなぜ一言知らせなかったのです?そうすれば荷物の手配も、わたくしがなんとかしてあげられたかもしれませんのに…。」
マリー・アンヌはニコリともしない。
「誰にも言うなというお父さまからのお達しでしたの。ごめんなさい、お姉さま。本当に申し訳なく思っておりますのよ。」
殊勝な言葉と裏腹に、まったく悪びれず素直に謝罪する妹には、これ以上追求もできず、マリー・アンヌはあとでじっくりお父さまと話をつけましょう、と言って引き下がった。
水路の船着き場には二艘の小船が係留されていた。
一艘は人間用、もう一艘は荷物用だ。
結局積み込むものは、オスカルとアンドレの当座の着替えや細々とした生活必要品、そして船旅の間の食料と水の他には、カトリーヌからの贈り物だけで、男連中が総出でかかればあっという間に作業は終了した。
人間用にはオルガの夫で厩番のジャンが、荷物用には同じく厩番の若いジュールが、船頭としてついた。
水路は、すぐに運河に出て、最終的にセーヌに合流する。
そこで待機するバルトリ家の大型船に、人間も荷物も乗り換えるのだ。
「さあ、乗りましょう。」
クロティルドがオスカルとアンドレをうながした。
岸に横付けされた船にまずアンドレが移り、続いてオスカルの手をとって迎え入れた。
それからクロティルドに向かって遠慮がちに手を差し出すと、クロティルドはなんのためらいもなくその手をつかみ、見事な所作で乗り移った。
岸辺にはジャルジェ家の当主と夫人、そして三人の娘と使用人全員がが立ち尽くしている。
ばあやは、オルガに抱きかかえられたままだ。
誰も言葉が出なかった。
本当に胸がいっぱいになったら何も言えないのね、と、ジョゼフィーヌがそれだけをやっと言った。
「たとえなにがおころうとも父上はわたくしを卑怯者にはお育てにならなかったとお信じくださってよろしゅうございます。」
突然、今まで沈黙していたオスカルが父に向かって言った。
その蒼い目がキラリと光る。
「なにがおこるというのです?」
マリー・アンヌが顔色を変えた。
「あなたは無事に出産することだけを考えなさい。いいわね。これ以上の予定変更は許しませんからね。」
だが、オスカルは笑っている。
「ジャン、出発だ。」
オスカルの指示に、ジャンが櫂で岸壁を勢いよくついた。
ゆっくりと船が水路の中程へ滑り出た。
「アンドレ、何があってもお嬢さまをお守りするんだよ!」
ばあやが涙と鼻でぐしょぐしょの顔のまま叫んだ。
「大丈夫。きっと守るから…。行ってきます!」
アンドレが祖母に大きく手を振った。
動く船にあわせて、岸辺の人々が移動する。
そのとき将軍が叫んだ。
「行くがいい!おまえの信ずる道を、その情熱の命ずるままに…!だがオスカル!これだけは忘れるな。無謀な前進よりも勇気ある撤退。よいか!卑怯とは必ずしも撤退をさすのではないぞ!!」
オスカルの双眸が大きく見開かれ、見る間に大粒の涙がわき出てほおを伝った。
「父上、ありがとうございます。どうかお元気で…!母上も、どうかお元気で…。」
母は父のかたわらに黙って寄り添っていた。
無言なのは、伝えるべき事がないからではない。
だが、すでにこの数日、言い尽くしたと母は思っている。
あとはどれくらい娘の心に残ったか。
だがその答えが出るのはずっと先のことなのだ。
三人の姉上が長いドレスの裾をたくし上げるようにして、船を追った。
使用人たちも同様に走った。
裏手の庭園をぬうように船は名残惜しげにゆっくりと進んでいく。
だが、いかに広大な屋敷とはいえ、船はほどなく水門に達し、そこから邸外へ出て行った。
ちぎれんばかりに手を振るオスカルとアンドレとクロティルドの姿がはるかかなたに見えなくなるまで、誰もその場を動かなかった。
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