クロティルドはあっという間に大男たちに取り囲まれた。
事情を知らぬ人が見たら、荒くれ者にからまれた貴婦人、という光景にしか受け取れないものだが、クロティルドはにこやかに大男どもに笑顔を振りまいている。
「衛兵隊の連中に囲まれたおまえよりも一層風変わりな光景だな。」
アンドレが思わずつぶやいた。
「失敬な!わたしは軍人で兵士の上官だったのだ。いささかの風変わりさもない。」
言われてみればその通りで、軍服を身にまとったオスカルは、傍目には決して女性、まして貴婦人には見えなかった。
だが…。
「お血筋だろうか。男どもを従える姿があまりにもさまになっておられる。」
「…。」
内心同感のオスカルは癪だから黙して答えない。
やがて大男の輪の中からクロティルドが出てきた。
「みんな、紹介するわ。わたくしの妹のオスカルと、その夫のアンドレよ。」
あまりに自然な紹介で、アンドレは言葉もなかった。
妹のオスカルと夫のアンドレ…。
夫の…。
そのように大っぴらに言ってもらえるとは思ってもいなかった。
当然従僕として乗船するものだと思っていた。
胸がいっぱいになる。
「アンドレ・グランディエです。どうぞよろしくお願いします。」
アンドレは居並ぶ水夫たちに丁寧に頭を下げた。
一方オスカルは、じろりと水夫たちを一瞥するといかにも主筋らしく鷹揚に声をかけた。
「オスカル・フランソワだ。よろしく頼む。」
「船長のアランです。」
一際大柄な男が名乗った。
「アラン?」
なじみ深い名前につい反応してしまった。
「ええ。アラン・ルヴェよ。とても頼りになる主人のお気に入り。」
クロティルドが付け足した。
「奥さま、お気に入りなら、今度の航海に置いて行かれたりはしませんぜ。」
アラン・ルヴェはふてくされた顔で横を向いた。
まだ30歳前後だろうか。
それで船長に任じられているのだから腕はあるのだろう。
だが、今回はバルトリ候に居残りを命ぜられたようだ。
「まあ、アラン、それは違うわ。今回はちょっと若い者にも経験させよう、ということであなたに残ってもらっただけよ。アラン、誤解しないでちょうだい。おかげでわたくしはあなたに来てもらえて、どんなに心強いかしれないわ。」
優しい奥さまの心のこもった取りなしに幾分かは気を取り直したようだが、こちらのアランもちょっとケツが青そうだな、とアンドレはおかしくなった。
「さあ、荷物を運んでちょうだい。といっても大してないのですけれどね。」
クロティルドが積荷の少ない事情をかいつまんでアランに説明している間に、積み替えが始まった。
荒くれだが気のいい水夫たちが大型船と小船の間をくっちゃべりながら往復している。
「なあ、あの奥さまのお連れさんは、誰だって?」
「奥さまの妹だって言ってたぞ。」
「妹?弟じゃねえのか?」
「そう言われればそうだな。俺たちが聞き間違えたか、奥さまが言い間違えたか、そんなとこだな。」
「二人とも奥さまの弟か?」
「金髪のお方は顔立ちが奥さまに似てるが、黒髪の方は全然似てねえぞ。」
「夫がどうだとかおっしゃってたから、だんなさまの弟じゃないか。」
「なるほど。奥さまの弟とだんなさまの弟か。」
「きっとそうだな。だんなさまも奥さまも、元々こちらにお住まいだったんだから、どっちの弟がこちらにいても不思議はねえ。」
「なるほど。確かに黒い髪に黒い瞳はだんなさまとおんなじだ。」
勘違いの想像が果てしなく膨張し、しかもそのまま納得されて、いつしか水夫の中では、オスカルはクロティルドの弟、アンドレはバルトリ候の弟ということで落ち着いてしまった。
「奥さま、終わりました!」
最後の積荷を運んだ水夫が大声で報告した。
「ありがとう。ではアラン、出航しましょう。さあ、ノルマンディーへ!」
クロティルドが大型船に乗り込んだ。
オスカルとアンドレが続いて桟橋から船に移った。
そのとき、上流から多数の船が全速力で下ってきた。
「おーい、どうしたんだ?そんなに慌てて…。」
水夫がマストの上から叫んだ。
「パリで暴動発生だ!フランス衛兵が寝返って…。騒ぎに巻き込まれたくない商人が、荷物をしこたま積んで船をどんどん出している!このあたりはすぐに船のたまり場になるぞ!」
「何だって!そいつはまずい。すぐ出航だ!」
アラン・ルヴェは大声で出航命令を出した。
「悪いが船は上流に向けて出してもらう。」
オスカルが、舵取り役の男の頬先に美しい短剣をつけ、アランに向かって、短く言った。
「何だって?気でも狂ったのか?」
「いたって本気だ。パリに向かってくれ。フランス衛兵が寝返った以上、優雅な船旅などしていられない。」
オスカルは短剣を手に舵取り役の背後に回った。
アンドレは非常に逡巡した上で、オスカルのそばに立った。
いったいいつの間に短剣なんか隠し持ったんだ、と思いながら…。
「奥さま、この人、どうしたんですか?」
アランは、途方に暮れた顔でクロティルドを見た。
舵取りの男は冷たい刃の感触に体を小刻みに震わせてる。
「ごめんなさい。ちょっと話をつけなきゃいけないみたいね。悪いけれどアラン、出港を少しまってちょうだいな。」
クロティルドは、短剣を持ったまま、頬を紅潮させ、真剣なまなざしで自分を見つめる妹をまっすぐに見返した。
「オスカル。きちんと説明しなさい。事情によっては考えてあげないこともないわ。だから使うつもりのないそんなものはしまいなさい。」
驚くほど落ち着いた声だった。
オスカルは、ハッとして一歩下がり、それから素直に短剣をアンドレに渡した。
アンドレはすぐにそれを懐にしまった。
クロティルドの言うとおりだ。
自身の希望を通すために、無関係のものを傷つけることなどできるわけはない。
だが、衛兵隊が寝返ったと聞いた瞬間に、頭に血が上ったのだ。
なんとしてもパリに行かねばならない。
「アラン、かわいそうなピエールを連れて行ってあげて。」
解放された舵取りのピエールが、ふらふらとアランの方に駆け寄る。
不信感の固まりのような視線でアランがオスカルをにらんでいる。
「すまな…かった。」
オスカルはアランとピエールに向かって頭を下げた。
「ピエール、アラン、ごめんなさい。わたくしに免じてオスカルを許してやってちょうだい。」
クロティルドも頭を下げた。
これにはアランとピエールが驚いて、二人そろって手を振った。
「奥さま、頭を上げて下さい。奥さまにそう言われてしまっちゃあ、俺たちはどうにもできない。こちらさんにもいろいろ事情がおありのようだし…。」
本当にごめんなさいね、と繰り返しながら、
「アランの言うとおりね。そのオスカルの事情とやらを聞かせてもらいましょう。」
クロティルドは、アンドレに後ろから支えられるように立っているオスカルに視線を戻した。
オスカルは、ゆっくりと近づいてくる姉に心のありったけをぶつけようと決心した。
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