昨日のテュイルリー宮広場における戦闘は、市民に対し、ある覚悟を与えるのに充分すぎるものだった。
衛兵隊の助力を得て、なんとか国王軍を押し返したものの、このままではいずれ反撃されるのは時間の問題だ。
何と言っても衛兵隊はたかが二個中隊で、その彼らの持つ銃弾には限りがある。
当たり前だが、裏切り者の彼らには、もう弾薬は補充されない。
今、保持しているものを使い切ったら、後は剣を抜いて戦うしかないのだ。
銃弾がいる。
火薬がいる。
これら消耗品はどんなに補給しても補給しすぎるということはない。
王室の倉庫からはすでに出した。
市役所からも…。
あとは…、廃兵院とバスティーユ牢獄だ。
午前9時、コミューンの代表は二手に分かれ、一方は廃兵院に、残りはバスティーユ牢獄に向かった。
衛兵隊は廃兵院組の護衛として同行した。
「人民の代表として、武器の引き渡しを要求する。」
毅然とした態度で主張するコミューン代表の背後を、衛兵隊がしっかりと武器を手に固めている。
廃兵院の長官は、前日の戦闘で華々しい成果をあげた衛兵隊を前にして、苦慮の末、武器の供出に応じた。
そもそもこの武器はいったい誰に向けられるものとして、装備されていたのか。
自国民にか?
国王軍にか?
国王軍とは他国から国民を守るためのものではなかったか?
だが、すでにその前提は崩壊した。
現在、パリ市内に配備された軍隊は、国民を守るべき国王が、その国民に対して出動させたものなのだ。
フランス国王がフランス人に銃を向けるのか。
いや、王妃はフランス人ではない。
オーストリア人だ。
市民の怒りはまたしてもそこに向けられる。
廃兵院の地下室に眠っていた銃3万2千丁、大砲12門が引き出された。
国王の持物であったこの武器は、以後、市民が国王に向けるものとして使用されることになるだろう。
大逆転だ。
アランは目の前で、初めて手にする銃と大砲に熱狂する市民を見て思った。
打たれるしかなかった市民が打ち返すのだ。
そして撃たれるしかなかった市民が撃ち返すのだ。
自分たちは、その先頭にたって、市民を守らねばならない。
厳しい訓練の成果を今こそ発揮すべきだ。
衛兵隊員は、アランの指示で、市民軍の間に分け入り、銃の使用方法を教授して回った。
そして、素人には到底使いこなしようのない大砲は、衛兵隊が一手に引き受けることになった。
急ごしらえの編成だが、この際、四の五の言う余裕はない。
兵士の指導のもと、市民が大砲を引っ張って、いまだ交渉の終わらぬ様子のバスティーユ牢獄に行進を開始した。
軍事要塞として建築され、のちに国立刑務所となったバスティーユ牢獄は、華やかなベルサイユ宮殿が王権の栄華の象徴であるのと対照的に、王権の弾圧の象徴であった。
過去、数多くの政治犯が投獄されてきた。
だが、現在の入牢者はわずか7名。
それを守るために配備されたとするには、百数十人のスイス兵はいかにも多すぎる。
彼らの真の任務は、おそらく、武器と弾薬の警護であろう。
つまり、これだけの兵力で守らねばならないだけの武器がここにはあるということだ。
これを市民が奪い取れれば、素人のにわか軍でも、ある程度対等に国王軍と渡り合えるはずだ。
群衆は廃兵院を出てロワイヤル橋に向かった。
この橋を渡ると昨日の戦闘の記憶がまだ新しいテュイルリー宮広場に出る。
そしてルーブル宮や市役所を経てめざすバスティーユ牢獄に至るのだ。
沸き立つ市民に続いて、最後尾を大砲が行く。
その周りを制服を着た衛兵隊がしっかりと固めている。
そして白馬に乗ったアランがいた。
今までのところ、すべてはうまくいっている。
隊長から託された任務は、ほぼ完璧に果たしている。
アランは、緊張感とともに達成感も感じていた。
と、突然、そのアランの目に信じられないものが飛び込んできた。
豪華な金色の髪である。
それがロワイヤル橋のたもとで翻っている。
正確にいうと、橋のたもとの小船の上で翻っている。
アランは、にこやかに自分を見つめるその金髪の主の姿に、馬から転げ落ちかねないほど驚いた。
「た、隊長!」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出ていた。
その声に徒歩で大砲の脇を固めていた衛兵隊が全員、アランの視線の先に首を向けた。
金色の髪がまぶしいくらいに反射していた。
兵士たちはわらわらと隊列を乱し、橋の欄干にへばりついた。
「隊長〜!」
一斉に叫ぶ。
何重唱にもなって隊長という言葉が響き渡る。
小船の上のオスカルは隣のアンドレの耳になにごとかささやいた。
「おまえらの隊長は、今はアランだぞ〜!」
アンドレが大声で橋の上に向かって叫ぶ。
大声を出すなというクリスの指示だけは律儀に守っているらしい。
「どうしたんですか〜?」
不揃いの怒鳴り声が橋の上から投げかけられる。
またもやオスカルにささやかれたアンドレが叫び返した。
「おまえらの働きぶりを見に来た。しっかりやれよ!」
昨日の戦闘であれほど冷静な指揮をとったアランは、心臓がバクバクと動いている感じがして、しばらく声もなかったが、ようやく自分を取り戻した。
「アンドレ!この馬鹿野郎!あぶねーからとっととその人をつれて帰れ!」
なんでこんなところにいるんだ。
銃弾がとびかってるんだぞ。
昨日の戦闘で、ジャンとフランソワは大けがしているんだぞ。
アランの胸中を恐ろしい早さで言葉が駆け巡る。
「帰れといって帰る人なら、俺だってこん苦労はしない…!」
これはアンドレの心の声である。
クロティルドの不在をいいことに、アラン・ルヴェにかけあって、小船をせしめたオスカルは、アンドレに向かって悠然と言い放ったのだ。
「アンドレ、おまえを名誉ある漕ぎ手に任命してやる。嫌なら、この栄誉はわたし自身が担う。さあ、どうする?」
何があっても一人で行かせないに違いないと、知り尽くしてのことだ。
アンドレは出会って以来、果てしなく繰り返されてきた二人のやりとりを、このときもまた、むなしく繰り返し、結局、オスカルに従った。
「すまん、頼むから、母親の腹の中にしがみついていてくれ。」
彼はまだ見ぬ子供に向かって頭をさげ、泣く泣くここまで船を漕いできたのだ。
「ほら、隊列が乱れているぞ。群衆に続け!」
となりでオスカルが、じれったい会話にしびれを切らし、自分で叫びかけて、それからアンドレをつっついた。
こんな些細なことをこんなに律儀に守るのなら、なぜ、もっと根本的なことを聞けないのか。
アンドレは苦々しくも、情けなく、それでもオスカルの言葉を伝えた。
「指揮官!隊列が乱れてるぞ!」
「てめえに言われるまでもねえよ!」
間髪入れず馬上からアランが反撃してきた。
「言ってるのは俺じゃない。オスカルだ。」
やっと自分の言葉で叫んだ。
「うるせえ!」
「なんだと!」
オスカルに押し切られ、こんなところまで手漕ぎ船をこがされて、限界まで不満が蓄積していたアンドレは、ついに切れた。
実に久しぶりだ。
胎教には父親の暖かい支えが必要だとのソワソン夫人の教えを固く固く守ってきていたのだから。
その教えた人の息子に切れるというのも大概皮肉なことではあるが、ぶち切れたアンドレは、そんなことまで考える余裕はない。
「とっとと市民に続いて戦果をあげてこい!」
「なにお〜!!何もしてないおまえが言うか〜!!」
アランが馬上から飛び降りようとしたとき、ひひ〜ん!と絶妙のタイミングで馬がいなないた。
同時にアンドレの袖をオスカルが引っ張った。
「こんなところで、この状況で、おまえ、何をカッカと来ているんだ?少し落ち着け、アンドレ。」
誰のせいだ…。
いったい誰のためだ…。
アンドレは完全に脱力し、船の上に座り込んだ。
馬の声に我に返ったアランが指示を発した。
「整列!!行進再開!」
散り散りになっていた兵士がすぐに隊列を整えた。
「バスティーユへ!」
アランの号令に、兵士と市民が答え、瞬く間に「バスティーユへ。」の声があたりを揺るがした。
「神よ…!彼らを守りたまえ…。」
オスカルは小船の上で十字を切った。
※参考資料 「図説フランス革命」 芝生瑞和編 河出書房新社
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