当然と言えば当然だが、アランには女性と相乗りで馬を使うなど、到底考えられないことだった。
だから母と妹がクリスと出て行くや、自分も家を飛び出した。
そして急いでパリの部隊に駆け込み、一人乗りの馬車を借せと叫んだ。
部下達は休みのはずのアランの顔を見て、そろいもそろってギョッとしている。
人の顔を化け物みたいに…。
だが、この際、それを怒鳴りつけている暇はない。
とにかく馬車を出せば引き上げてくれそうだとわかった部下が、超特急で準備してくれた。
なかなか頑丈なつくりである。
アランは御者台に駆け上がると、すぐに路地に出て自宅へ向かった。
部下の胸をなで下ろしている様が見えるようだ。
われながら台風のような襲来だが、仕方がない。
ことは一刻を争う。
アランはラソンヌ邸前で急停車した。
馬との連携は抜群だ。
音を聞きつけて、かしましい女性陣が廷内から飛び出してきた。
「あなたにしては上出来よ!」
母が息子をほめた。
「さあ、クリス乗って!」
ディアンヌが馬車の扉を開けた。
大きな籐籠を抱えてクリスが乗り込んできた。
已然として青い顔のままだ。
アランは、扉が閉まるのを確認して、すぐに馬を出した。
母と妹が祈るように両手を胸の前で組んでいた。
道中の無事と、クリスの両親の無事と。
アランは二人の祈りを心に刻んだ。

幸い天気はいい。
この2、3日は崩れる心配はなさそうだ。
懐中時計で時刻を確認する。
午前8時30分。
急ぎたいのはやまやまだが、馬を疲れさせるわけにはいかない。
昼までに着くのは無理だと判断したアランは、パリを抜けるまでは速度を上げないことにした。
「おい、気持ちははやるだろうが、馬がばてればかえって到着が遅くなる。あせらず乗ってろよ」
振り返って車内のクリスに声をかけた。
窓から顔を出したクリスは、先程より随分落ち着いた顔をしていた。
「アラン、本当にごめんなさい。せっかくの休暇だったのに…」
常に相手の立場を考えるいつものクリスだ。
「欲しくて取った休暇じゃねえからな。特に予定もなかったし。気にすんな」
「ありがとう」
窓枠に手をかけて、クリスはようやく笑みを見せた。

とにもかくにも親元に向かっている、という現実が、彼女に落ち着きを与えたようだ。
本来、人が動揺するのは、どうしていいかわからない時であり、するべきことをしている分には動揺はない。
ソワソン夫人によって、実家に帰ると決定され、実際に行動に移った段階で狼狽は消え去った。
次は、無事に親の元に戻るためにどうすればいいかを考えればよい。
そして、それはアランが実行しくれていた。
この馬車に乗っていれば、両親のもとにいけるのだ。
そう思うことがクリスをいつものクリスに戻してくれた。
夫人の判断はかくも正しい。
夫人はクリスに平常心を蘇らせるすべを熟知していたのだ。

パリの街中は、国王がベルサイユから移って以来、さらに人の動きが激しくなっている。
議会の提案を受け入れ、王はともに良き国を作ると、表向きは約束したが、それを信じている人間はどれほどいるだろう。
国の外に目をやれば、ローマ教皇庁を筆頭に、人権宣言を認めない国が大半だ。
そういう状況下、アランは休暇中でも軍服を着ていることが多い。
いつ何時、どこで騒動があって呼び出されるかわからないからだ。
今も、やはり国民衛兵隊の軍服を身につけている。
明らかに高位とわかる勲章が胸に光る。
その彼が御者台に座っていれば、街中はいたって走りやすい。
行き違うものが皆よけてくれる。
クリスがひとりで駅馬車や郵便馬車を乗り継ぐより、ずっと安全だということが実感される。
ディアンヌの判断はかくも正しい。
くやしいが、妹は兄が究極のボディーガードたりうることを熟知していたのだ。

ようやく馬車がパリ市外に出た。
「アラン、水分を取ってちょうだい」
クリスが窓から顔を出し、声をかけてきた。
馬を操る手をヒラヒラと振って、アランは要らないと意思表示した。
市外に出たばかりだ。
水を飲める場所はないし、その時間も惜しい。
「いいから、取りなさい」
命令調に言われて、いささかムッとして振り返った。
窓から水瓶が突き出されている。
「持って来たのか?」
「ええ、必需品よ。さあ、飲んで。馬だけでなく、あなたがばてても到着できないのだから…」
馬車に乗り込む時抱えていた籐籠には、これが入っていたのか。
アランは素直に受取り、ゴクゴクとのどを鳴らして水を飲んだ。
「うまいな」
感嘆の言葉が思わず口をついて出た。
自分では意識していなかったが、相当のどがかわいていたらしい。
瓶を返すために振り返ると、クリスが満足そうにこちらを見ていた。

「あんたは飲まないのか?」
「大丈夫。わたしの分は別に用意しているから」
急の出立にもかかわらず、ぬかりのない手配に感心させられる。
「そうか、さすがだな」
「本当はね、わたしではなくてマダムが用意してくれたのよ」
小さな馬車だから、乗っている人間と御者の距離も近く、窓から顔を出していれば普通に会話できる。
「マダムには本当にお世話をかけてしまったわ、ディアンヌにも…」
「あの二人は、あんたのことを恩人だと思ってるからな。あんたのためなら喜んでするさ」
お世辞ではなかった。
まったくの本心だった。
母もディアンヌも、クリスがいたから前を向けたのだ。
それは自分が一番知っている。
「さあ、速度を上げるぜ。揺れるからしっかり乗ってろ」
クリスは膝の上の籐籠を抱え直した。

すぐに馬車の速度が変わった。
轍の音もずっと大きくなった。
揺れも激しい。
だが、どんなに激しい揺れでも構わなかった。
両親が無事なら…。
父は一度パリに出てきたので、その時に会っている。
娘を迎えに来て、断られて、寂しそうに戻っていった。
母とは、もう長いこと会っていない。
パリに出てきた頃は、一年に二度ほど里帰りしていたが、叔父のからみでジャルジェ家と知り合い、さらにその親戚の家にも行くようになり、忙しくなるといつしか故郷は遠くなっていた。
最近のクリスは女医ということで、人気が高く、引っ張りだこなのだ。
そして求められれば断れないのがクリスという人間だった。
帰ってきて欲しいと嘆願した父を、無情に追い返した罰だろうか。
こういう形で帰郷することになろうとは…。
郊外に出ると畑が続く。
窓の外が広くなる。
何もないけれど、美しい光景だ。
パリにはないものだ。
平坦な道が続く。
蛇行するセーヌとは時に近づき、また遠ざかる。
街中でも田舎でも、セーヌの流れは変わらない。
滔々と水をたたえて流れていく。
クリスは目を閉じた。
そして父と母の顔を思い浮かべ、その無事を祈った。





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旅は道連れ

※こちらは「悲喜こもごも」のあとの挿話です

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