すっかり日が暮れてから、ようやく馬車は小さな村に入った。
小さいと聞いてはいたが、本当に小さい。
パリ生まれのパリ育ちというアランには、前もって想像することなど到底不可能な規模だ。
一本の街道沿いにすべてのものが並んでいる。
家も店も教会も…。
「教会へ」
クリスが窓から顔を出し道を指示する。
暗がりの中で、灯りも少ないが、一本道をまっすぐに進めばいいので迷うことはない。
小さいけれどしっかりとした造りの教会の前で馬車を停めた。
転がるようにクリスが馬車から降りた。
「神父さま!」
ドンドンとクリスが扉を叩く。
すぐに中から開いた。
白髪の老人が出てきて、クリスを見るや抱きしめた。
「よく帰ってきたね…」
「神父さま、父は?母は?」
「こちらだ。さあ、おいで」
神父に手を引かれるように進み出したクリスは、だが、すぐに足を止めて振り返った。
「アラン、中へ」
それから神父に向き直った。
「パリの叔父のもとで一緒に仕事をしている人の息子さんです。送ってもらいました」
「それはご苦労様でした。さあ一緒にどうぞ」
こういう状況にもかかわらず、クリスはどこまでも律儀である。
そして応対する神父もまた同様だ。
ジヴェルニーの風土なのか?
紹介などあとでいいから、早く顔を見に行け。
アランはまどろっこしいことこのうえない。

礼拝室から廊下に出ると、すぐ目の前の小部屋の扉が開いていて、灯りがもれていた。
小さいスペースに無理矢理寝台を二つ詰め込んである。
クリスと神父が入れば、アランの立つ場所はない。
アランは、だから入らなかった。
入ってすぐの寝台に女性、その奥の壁際に男性が横たわっていた。
どちらもかなり高齢だ。
クリスは遅くにできた子供だったのだろう。
「お父さま!お母さま!」
クリスが寝台に駆け寄る。
不謹慎だが、どうやら生きている、よかった、とアランは胸をなで下ろした。
もしかして遺体と対面などという事態になった場合、どうすればいいのか、実は道々考えていた。
自分に何ができるかわからなかったが、その可能性を否定できない以上、備えておく必要はあった。
だが、両親は意識もあり、クリスの顔を見て、あきらかに喜んでいた。
つまりは喜べるほどの容体だった。

「やけどは?」
クリスが母の腕を取る。
「幸い、気づくのが早くてね。煙は随分吸ってしまったようだが、やけどはたいしたことはない」
神父が穏やかに微笑む。
クリスがホーっと大きくため息をついた。
廊下でアランも同じようにため息をついた。
「よく来てくれたわね」
母が起き上がろうとするのを制して、クリスは神父に説明の続きを求めた。
神父はゆっくりと語り始めた。

昨日の朝方だった。
礼拝をすませ、外に出ると、嫌な匂いがした。
焦げ臭いとまではいかないが、きな臭いよりは強い。
木立の間からのぞくと、隣家の窓から黒い煙がものすごい勢いで吹き出していた。
驚いて駆けつけると、厨房の入り口付近に折り重なるように老夫婦が倒れている。
室内は煙で何も見えない。
奥には火も見えた。
ゴホゴホと咳き込みながら、とにかく1人ずつ引きずって家から引き離していると、煙に気づいた村人が三々五々集まってきた。
そこは小さい村ゆえ、気心しれたものばかり。
救助するもの、消火するもの、加勢を呼びかけに走るものと、分担して皆が立ち働き大事に至らずにすんだ。
厨房は相当燃えて、そこの家具などはもう使えないだろうが、とにかく身体が無事だったのだから、神さまに感謝しなければ…。

神父は、神父らしく話を終えた。
両親が口を挟まないことを見ると、神父の話で間違いないのだろう。
「火元は何だったんですの?」
黙って聞いていたクリスが、口を開いた。
「不注意だったのよ。わたしの…。お湯を沸かしたあとの始末を…」
母がつぶやいた。
「お母さまが?!」
クリスは心底意外そうで、声が大きくなった。
年も年だから、手元が狂うこともあるだろう。
それともよほど気丈夫なおふくろさんだったんだろうか。
クリスにそっくりで、そういう些細なミスは絶対しないタイプとか…。
だが、人間、絶対なんてないからな。
アランは口には出さずひとり思いを巡らせる。
「不思議だったのです」
クリスがきっぱりとした口調で言った。
「どうして誰も付き添っていないのか…。まさかお二人で暮らしていらしたの?」
これまたアランには不思議な問いかけだった。
クリスは一人娘だったはずだ。
その娘がいなければ、夫婦2人で暮らしていたのは当然のことだ。
アランは首をかしげた。

「こんな時代だからね。もう誰かを使う余裕は、うちにはないのよ」
母親が寂しそうに笑った。
父は顔を背けている。
明らかな衝撃がクリスを襲った。
「そんな…!」
クリスは再び神父に説明を求めた。
「ルーアンの修道院が、ジヴェルニーを手放してしまったのだよ…」
神父は苦々しそうに顔をしかめた。
昨年の11月に教会は国有化された。
革命政府の財源確保のためである。
それからまもなくジヴェルニーは教会の保護下から離れ、新しい支配者がやってきた。
穏やかな支配体系が崩壊し、成り上がりの富裕層が、金の力で土地を手に入れ始めた。
教会の隣に屋敷を構え、広大な農地を持ち、地域の指導者的立場であったラソンヌ家は、土地や働き手を奪われて、食事の仕度をするものすらおけないほど逼塞していたのだ。
アランはクリスが不思議だと言った意味をようやく理解した。
クリスはここでは相当裕福な家庭で育ったのだ。
パリで、てきぱきと仕事をこなす彼女のことだから、てっきり小さいときから働くことが当たり前の家庭で育ったとばかり思っていた。
案外、名前だけ貴族のソワソン家より、よほど恵まれた暮らしをしていたのだろう。

「なんてこと…!」
クリスは絶句した。
彼女は使用人がいた時代しか知らない。
叔父が医者になりたいとパリへ出て行き、行儀見習いと称してそのもとに押しかけた。
医師になりたかったからだ。
だが、それは貧しかったからではない。
実家の経済的な面を心配したことなどなかった。
叔父は村を出ることに一族がこぞって反対していたため、仕送りも受けられず苦学生の日々を送ったようだが、クリスはそうではなかった。
事実、父が迎えに出てきたのも領主に連なる縁談があったからだった。
つまりはそういう家なのだ。
それならば、家事などしたことがない母親がボヤを出すのも無理はなかった。

もとより、火事の知らせが父の従弟から郵便で来たときにおかしいとは思ったのだ。
使用人がいれば、誰かひとりがパリまでクリスを迎えに来ればいいはずだった。
だが、知らせだけが来た。
全員負傷したのかと思ったくらいだ。
その謎が今、解けた。
「革命は、パリだけで起きているのではないのね。そんな当たり前のことに気づいてなかったなんて…。そして、わたしが、このわたしが、奪われる側だったなんて…」
クリスは両の手のひらをぐっと握りしめた。
廊下に立つアランは、扉越しに気遣わしげにクリスを見た。
だが、かける言葉はなかった。
無理もない。
クリスは、混乱のパリで市民の側についているつもりだったろう。
既得権を抱え込んで離さない貴族と、その支配体制の頂点に君臨する国王。
一方でその日の食べ物にも事欠くパリの下町の人たち。
三部会も、バスティーユの襲撃も、市民と同じ目線で応援していた。
アランは革命軍の将校だし、ベルナールは市民会議の委員であり、革命推進の広報担当のようにものだった。
それなのに…。

「クリス、クリス…」
何度か呼ばれていたことに気づいてクリスはハッと顔を上げた。
母が心配そうにのぞき込んでいる。
「廊下にいらっしゃる方はどなた?」
自分が話題になっていると気づいて、アランが扉から顔を見せた。
神父が少しずれてくれて、アランはようやく室内に入った。
「いつも手紙に書いているマダムの息子さん、ディアンヌのお兄さんよ」
母や妹が手紙に書かれているのか、とアランは目をむいた。
「たしか、パリでわたしを助けてくれた人だね?」
「ええ、そう。覚えてらしたのね」
老父は以前パリに娘を迎えに来たとき、体調を崩し、パリで倒れたところをアランに助けられた。
「顔はしっかり覚えているが、あいにく名前は…」
「アランです」
自分から名乗ってぺこりと頭を下げた。
「マダムとディアンヌが心配して、アランを護衛につけてくれたのよ。おかげですんなり来られたわ」
「まあまあ、そうだったの。アランさん、ありがとうございました」
母が身体を起こし、丁重にお辞儀をした。
「また助けてもらったんだな」
父親も起きあがろうとする。
「いいからいいから、寝てな。うちのおふくろも妹も、さんざんクリスには世話になってる。だからこんなことは全然大したことじゃないんだ」
アランはあわてて手を振った。

そのとき礼拝室のほうでどかどかと足音がした。
と思ったら、大きな声までとんできた。
「クリスが婿を連れてきたって〜!」
「どいつだ?」
「どこだよ?」
がやがやとした集団が近づいてくる。
アランは真剣に隠れる場所を探した。
だが悲しいかな、神はアランが身を隠すことをお望みではなかった。






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旅は道連れ

※こちらは「悲喜こもごも」のあとの挿話です

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