礼拝堂に男たちだけ…。
別に祈るためにいるわけではない。
彼らがここに来た目的は、一言で言えば見舞いである。
火事を出して、救出されて、教会で世話になっている老夫婦。
様子はどうか、何かしてやれることはないか、そういう思いで来た。
もちろんピエールたちには、クリスに同行してきた軍人を見たいという好奇心もあったし、実はそれが大半ではあったが、それでも怪我人を案ずる気持ちも充分にあった。
詮索好きではあるが、決して悪人ではない。
ましてアランに至っては、両親の無事を見届けたい娘を一刻も早く送り届けねばという義侠心から来たのである。
それ以外のどんな理由で、縁もゆかりもないこんな田舎に来るか。
諸々誤解と勘違いで、ややこしい話しになってしまっているが、当のクリスの姿が無くなれば、アランとピエールたちには何のわだかまりもあろうはずはなかった。
だが、実際には、気まずい空気がどんよりと漂っている。
無言の状態が続いた。
「仕方がない、帰るか…」
ピエールがぽつりとつぶやいた。
「おじさんたち、本当に大丈夫だったんだな?」
「ん?ああ…、そうだな。割と元気だった。クリスも安心してたしな」
アランは正直に答えた。
「そうかい。それなら、今日は帰るわ…」
歩き出して、それからもう一度振り返ったピエールは
「いつまでこっちにいるんだい?」
と聞いてきた。
「え…?いつまで?」
そういえばいつまでいるか聞いていない。
当然だ。
両親の容体が判明しないうちから、帰宅の予定が立つわけがない。
答えられずにいると
「明日、一旦帰るわ」
クリスの声がした。
「え?!」
男全員が声を上げた。
いつの間にかクリスが通路への入り口に戻ってきていた。
「アラン、今日はありがとう。とりあえず明日パリに戻りましょう。今夜は神父さまが部屋を用意して下さるから、そちらに泊まってちょうだい。」
つかつかとピエールに近づいていく。
「ピエールも色々ありがとう。両親のことは神父さまにお願いしてきたわ。これからの生活費はわたしが仕送りするので、もう暮らしの不自由はさせない。明日にでも世話してくれる人をよんでもらうことにしたの。もちろんお給金はきちんと出すわ。わたしが帰ってくるわけには行かないし、父もパリでは暮らしたくないと言う以上、これが最善の選択ね」
てきぱきと説明するクリスに、一同はあっけにとられた。
きついことを言ってしまったかと悔やみかけていたピエールも、そのピエールをたしなめようとしていたアランも、言葉の挟む余地がない展開だった。
礼拝堂から出て行ったクリスは両親と今後の話をしてきたのだ。
落ち込んで場を外したわけではない。
考えてみればあれしきのことで傷つくような性質ではなかった。
小さい時からクリスはそういう娘だったではないか。
ピエールは思い出して、深くうなずいた。
アランも、医師としてのクリスは、絶対に感情的にならないことを認識しなおした。
いつだってその時その場で最善の策を考え出す名人だった。
妹も母もそのおかげで助けられたのだ。
両親とはいえ、寝台に横たわる病人、怪我人だ。
それに対する処置は、完全にとられるはずだった。
親戚の好奇心など痛くもかゆくもないのだ。
「ピエール、よいところに来たね」
クリスの後ろから神父がやってきた。
「明日から燃えた家の修繕にかかりたいそうだ。大工の手配をしてやってくれないか?」
「もちろん、おやすいご用だ」
「あそこに人が住めるようになるまで、ご両親はここで預かることになったが、なにぶん手狭だ。できるだけ急いでほしい。頼むよ」
「このクロードが大工だ。おい、親方に伝えといてくれ。今、急ぎの仕事はないんだろ?」
クロードが大きくうなずいた。
「よし、じゃあ、おれたちは帰るわ。クリス、またな、気をつけて帰れよ」
「ええ、ありがとう」
礼拝堂からピエールたちが引き上げ、急に教会全体が静かになった。
「そんなに早く帰っちまっていいのか?」
クリスが自分の意見を聞くはずもないことを知りつつ、アランは尋ねた。
「本当を言うとね、お金を取りに帰りたいの」
「え?」
「慌てて来たものだから、持ち合わせがそれほどなくて…。ちょっとでも早く取ってきて、神父さまや両親に渡しておきたいのよ」
「クリス、私への気遣いなら要らないよ」
神父が会話に交じってきた。
「そう言うわけにはいきません。神父さまがお受け取りにならなければ教会に寄進します」
「まあ、世の中金次第ってこともあるわな」
アランがぼそりとつぶやいた。
「その通りよ」
「あんたのことだから、余計な世話だと怒るかもしれないが…」
アランはごそごそと肩から下げた袋から財布を取り出した。
「俺は、結構持って来たんだ。道中何があるかわからんと思ったので…」
「アラン…!」
「もちろん、やるんじゃないぞ、それは失礼だからな。ただ貸してやるだけだ。パリに戻ったらすぐに返してもらう。明日、大工に払う手付けぐらいはあるはずだ」
「ありがとう…。お言葉に甘えさせてもらうわ」
思いの外すんなりとアランから紙幣の束を受け取ったクリスは、にっこり笑い、アランを今夜の寝場所に案内してくれた。
「部屋というよりは屋根裏部屋、それも物置と変わらないくらいだけど、ごめんなさいね」
「軍人ってのは野宿でも平気な生き物だぜ。豪華なほうが気後れするんだ」
あまり自慢できることでもないが、アベイ牢獄に放り込まれていたことだってあるのだ。
あの時は最悪だった。
あれを思えば、どんなところでも寝られる。
「ありがとう」
「あんた、気づいてないかもしれないが、さっきから、おれに詫びと礼しか言ってない。そんなもの、おれにはまったく不要だぜ」
「まあ…!ごめんなさい…あっ!」
「ほらな…」
クリスは弾けたように笑い出した。
アランも思わずつられた。
「もうしばらく、ここにいてやりな。おれは明日ひとりで帰る。そしてあんたの金をラソンヌ先生から預かって、また来てやる。あんたはそのとき帰ればいい」
「アラン…。もう言われたくないでしょうけど、言わせてもらうわ。本当にありがとう。でもやっぱり一度パリに戻るわ。そして今度は少し長期に滞在できるよう、病院も手配してから来るつもり。とにかく慌てて来てしまったから。明日はわたしも乗せてちょうだいね」
「ひとつ忘れてた。あんたが俺に言うのは、礼と詫びとそしてお願いだ…。しかも絶対に断れないお願い…」
「ご名答!さっ、私は父と母の元に戻るわ。おやすみなさい、アラン」
クリスは晴れ晴れとした顔で屋根裏部屋から出て行った。
アランはようやく軍服のホックをはずし、粗末な寝台に転がると、あっという間に爆睡した。
HOME
MENU
NEXT
BACK
BBS
※こちらは「悲喜こもごも」のあとの挿話です