朝一番の出立は、あまりに愛想がないので、パリ帰着は深夜になるのを覚悟して、アランとクリスはとりあえず昼までは教会に留まることになった。
クリスは、両親の使っていたシーツを洗い、部屋の掃除をし、食料の買い出しに走り、とひとりで3人分は働いていた。
一方、屋根裏部屋で目を覚ましたアランは、枕元に朝食が用意されているのに心底恐怖を感じた。
気づかなかったのだ。
あまりに熟睡していたのだろう。
軍人としてあるまじき失態だった。
寝ている間に、こんな近距離に、ものを置かれて気づかなかったとは…!
落ち込みつつ、それでもしっかり空腹ではあるから、きれいに平らげて、トレイを持って階段を下りた。
そして立ち止まった。
どこに返せばいいのだろう。
まさか礼拝室にトレイを持って行くわけにもいかない。
とはいえ、クリスの両親が休んでいる部屋に持って行く意味はない。
アランは、自分が教会の内部を全くわかっていないことにようやく気づいた。
これまた失態である。
軍人ならば、自分の居場所、まして寝所の位置関係を把握せずに爆睡するなどあり得ない。
有事の際に身動き取れないではないか。
日頃うるさく部下に指示していることに冷や汗が出た。
そして何より、こういうことを自分にたたき込んでくれたジャルジェ准将に顔向けできなかった。

自分の立ち位置がわからない。
こういうときは、一旦外に出ることだ。
入ってきたのだから出口はわかる。
礼拝堂を通ればいいのだ。
アランは片手でトレイを持ち、片手で礼拝室への扉を押し開いた。
側面から入る形だ。
ステンドグラスから朝の光が差し込んで、一瞬目がくらむ。
やがて慣れたころ、祭壇の前に目をやってギョッとした。
先客がいたのだ。
金髪の若い婦人が跪いて祈っていた。
その腕にはどうやら子どもが抱かれている。
地元の女だろうか。
邪魔をするのも気が引けて、アランはトレイを持ったまま、待つことにした。
アラン自身が敬虔であるかどうかは別として、母やディアンヌがとても信心深いので、そういう姿の人を尊重する習慣が自然についていた。
やがて婦人が顔を上げアランの方を振り返った。

「アラン??」
婦人が素っ頓狂な声を上げた。
「ロザリー??」
アランは危うくトレイを落としかけた。

「まあ、どうして?」
「なんでここに?」
二人が同時に大きな声をあげた。
ロザリーの腕の中の子どもが驚いて目を開けた。

双方しばし呆然である。
そこにクリスがバタバタと走り込んできた。
「あら、アラン、起きたの?食事はすんだ?よく寝ていたから起こさなかったのよ。トレイはね…」
立て板に水のごとく話すクリスは、アランの前に立つロザリーを見て、まあ…と口を開けたっきり言葉が止まった。
「ロザリー?」

ロザリーも大きな瞳をさらに大きく見開いている。
「クリス…?ええ?クリス? クリスとアランがどうしてここにいるの?」
「ロザリー、あなたこそどうしたの?オスカルさまは?」
質問には答えず、質問で返すクリスはさすがである。
アランもそれが聞きたかったのだ。
素直なロザリーはとりあえず自分の疑問を脇に置いて、返答した。
「アンドレにそろそろ帰っていいって言われて…」
「ああ、もう乳離れできたの?」
「ええ…」
心なしか寂しそうなロザリーである。
夫のいるパリよりも、オスカルのいるノルマンディーのほうが心にかかるらしい。

「そうか、ロザリーが帰ってくるのか…。ベルナールの奴、よかったなあ…」
アランは人ごとながらベルナールのために喜んでやった。
「わたしはまだかなって思ってたんだけど、ベルナールがアンドレに手紙を書いて寄越したみたいなの。早く返してくれって」
「ああ、それはうなずけるわね。ちょっと老け込んできた感じだったし…」
「そうなの?」
「男の一人暮らしはウジが涌くっていうもの。哀れなものよ」
クリスは辛辣である。
だが、事実でもある。
「あら、妻がいないことにしばらく気づかなかったぐらいなのに?」
「勝手なものなのよ」
またしても一刀両断である。
アランは心からベルナールに同情した。

「それもそうね…って、わたしのことはいいわ。あなたはどうしたの?」
「ここ、わたしの故郷なのよ。昨日両親が火事を出したって知らせが来たので飛んできたの。アランに馬車を出してもらって…」
「まあ!!それでお父さまお母さまは?」
「おかげさまで助かったわ。この教会で療養中なの。燃えた実家はここの隣だったから…」
「そう…、大変だったのね。でもご無事で何よりだったわ」
「ええ、本当に」
「ではしばらくこちらにいるのね?」
「いいえ、今日、一旦パリに戻るの。とりあえずなにもかも放ってきたから。次はちゃんと準備して、それからもう一度あらためて来るつもり」
「それでお母さまは大丈夫なの?ご了解なさっているの?」
「ええ、昨夜話しをしてあるから。アラン、昼前にはやっぱり出ましょう。当座困らないようには仕度できたから」
「ああ、おれはかまわんが…。ロザリー、あんたはいつここを出るんだい?」
「わたしも昨夜こちらの宿に着いたので、そろそろ出るんだけど、そのまえに教会にお祈りをと思って来たのよ」
「そうか。だが、あんたは子連れなんだからゆっくりしたほうがいいんじゃないか?」
親切心で言ってしまってから、アランはしまった!と口を押さえた。
「そうね。確かにあんまり慌てて帰る必要もないのよね」
ロザリーが首をかしげて思案する。
こうしていると、まだ娘のような愛らしさがある。
隊長が、以前、ディアンヌとロザリーは似ていると言っていたが、なるほどな、と思ってから、あわてて首を振った。
「いやいや、やっぱりグズグズするのはよくない。早く戻ってやってくれ」
アランが前言撤回を申し入れたが、ロザリーの耳には届かなかったようだ。
「ねえクリス。わたしがしばらくこちらであなたのお父さまたちのお世話をさせて頂くわ。それならあなたも安心してパリの仕事を片付けてこられるでしょう?」
ああ!今度こそアランは両手で口元を押さえた。
余計なことを言ってしまった。
パリではベルナールが一日千秋の思いで妻子の帰宅を待っているだろうに…。

「ロザリー…」
クリスは信じられないという風に胸の前で両手を組んだ。
「もちろんそうしてもらえればわたしはありがたいけれど…」
「じゃあそうしましょう!」
元々ベルナールには何月何日に帰ると伝えているわけではない。
子連れの長旅であるから、余裕を持って動くようオスカルにもきつく言われている。
その旅費もしっかり渡されているし、何よりもバルトリ家から馬車と御者をつけてもらっている。
道中の安全確保には、ノルマンディーで精一杯配慮してくれたのだ。
「ここで会えたのは神様のお計らいだわ」
ロザリーはにっこり微笑んだ。
そのほほえみにクリスはあらん限りの感謝を捧げ、アランはめったにない懺悔の心持ちになった。





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旅は道連れ

※こちらは「悲喜こもごも」のあとの挿話です

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