手   紙

                    

ノエルの休暇が明けて以来、全く休み無しだ。
男の自分でもこれほどきついのだから、女の身では相当疲れがたまっているはず
だ、とアンドレはたった今別れてきたばかりのオスカルを思いやった。
いつもなら、何か暖かい飲み物を届けて、そのまま、ふたりして寝台に倒れ込み、
死んだように熟睡して、朝の光が差し込み始めているのに気づいて、あわてて自室
に戻るのだが、今宵はあえて習慣を破った。
フェルゼン伯爵から手紙が来ており、しかも返事が要るらしい。
ならば、ひとりにしてやるべきだろう。

伯爵はまがうことなくオスカルの初恋の人である。
オスカルの瞳がずっと彼を追いかけていたとき。
たった一度だけドレスを着て舞踏会に行ったとき。
そして、真っ暗な部屋で、どうして人は大人になっていくのだろう、と思い詰めていたと
き。
彼女の心は彼のことでいっぱいだった。
押し込めていた自分の感情が爆発し、思わず抱きしめ、強引に唇を奪い寝台に押し
倒してしまったほどに、彼女の心は彼を思っていた。

痛いな…。
アンドレはぽつりとつぶやいた。

自分の過去の行為が痛い。
そのときのオスカルの心が痛い。

今、冷静に、公平に自身の心を透かし見れば、伯爵への嫉妬はない、と言い切れる。
そう、今なら…。

「部屋へは行かない、ゆっくりおやすみ」
と、声をかけた時の、オスカルの顔は、幼子が初めて来た場所で母親にここからは
一人で帰るのよ、と言われたような、そんな顔だった。
それを思うだけで、嫉妬などというものは吹き飛ぶ。
伯爵に対する痛みではなく、ただただオスカルに対して痛かった。

軍服を脱ぎ、シャツの前をはだけると、鎖に通した指輪のあとが鎖骨の下について
いた。
ノエルの結婚式のあと、自分だけがもらうのはおかしい、と言って、オスカルがあつ
らえてくれたものだった。
オスカルは姉上からの贈り物だと公言していつもはめているが、まさか自分もおそ
ろいのものを堂々とするわけにも行かず、鎖を通して首から下げるようにしていた。
焦がれ続けた人をこの手に抱き、しかも神の前で愛を誓うなどという、夢想だにしな
かったことが、現実のことなのだと、指輪は繰り返し告げてくれる。
どろどろの嫉妬と羨望にからめとられていたあのときとは違う。
公にはできないが、自分たちは神の認める夫婦なのだから。

神の認める夫婦…。
ふと、フェルゼン伯爵と王妃のことを思った。

お二人の心が通じていることは明らかだ。
しかし、伯爵には王妃を我がものにすることは決してできない。
王妃は正しく王の妻であり、王と王妃こそが神の認める夫婦だからである。


そして、夫妻にはお子様もいる。
愛する人が、他の男の子どもを産む。
無間地獄だ。
自分ならば…。

オスカルにジェローデルとの結婚話が出たとき、彼はヌーベル・エロイーズの例を出し
、妻の側に置いてやってもよい、と申し出た。
一瞬怒りで我を忘れた。
手が勝手にショコラをぶっかけていた。
耐えられることではなかった。

しかし、伯爵は他人の妻である王妃の側に仕え続けている。
最愛の女性の夫とその子供達に忠誠を尽くし、真心こめて接している。
そして降るような縁談をすべて断り、独身を貫いている。
身分違いなどという生やさしいものではない。
伯爵と王妃には自分たちのような幸せは決して訪れないのだ。

かなわないな、あの人には…、と思った。
異国の地にあって、もっとも貴族らしい典雅ないでたちでありながら、胸の奥深いところに
恐ろしく強靱なものが流れている。

オスカルは伯爵のそういうところに惹かれたのだろうか。
彼女も男性社会にあって、もっとも美しい女性でありながら、決して曲げない強い信念を持っ
て生きている。
案外似たもの同士だったのかもしれない。
まあ、伯爵の方が相当穏やかな気性だとは思うが…。

では、似たもの同士、理解できるものであるならば…
オスカル、どうか伯爵の心がひととき慰められる暖かい手紙を書いてほしい。
おまえのまっすぐな心が、そのまま言葉になって、ままならない世の中で、卑屈になら
ず運命に真っ向から頭をあげて立ち向かう姿を伝えて欲しい。

この夜、アンドレは初めてフェルゼン伯爵と王妃のために祈った。
神に認められぬ愛を貫く二人に幸多かれ…!と。



2  アンドレ