手   紙

                    

北欧の雪と氷に閉ざされた堅牢な屋敷の一室で、フェルゼンは商人からの報告を受けた。

「かねて耳にする噂以上にお美しい方でございました。目の保養をさせて頂きました。いえ
、決していやしい気持ちではなく、なんといいますか、その気高さに心が洗われるような…」
商人は懇意の伯爵を前に偽らざる感想を述べた。
「顔色などはどうだった?パリで見かけた時はすぐれないようだったのだが…」
「はい。大変お忙しそうでお疲れのようではありましたが、血色よく輝くようなお肌でございまし
た」

オスカルは直接手紙をことづけたいゆえ、連隊本部へご足労願いたいと、ジャルジェ家に来
た商人に伝えさせ、司令官室で接見したという。
そして、伯爵にくれぐれもよろしく、との伝言を上品な封書に添えた。
予期せず、名高い麗人に直にまみえた商人は、そのときの興奮を思い出したのか、やや頬を
紅潮させて、様子を伝えた。

「オスカルは一人だったか?誰か、お付きのものがいたのか?」
「衛兵隊の兵士が一人控えておりました。長身の男でしたが、どういう経緯が隻眼で…」
「アンドレだな」
「おお、そうです。ジャルジェ准将はそのように呼んでおられました」
「そうか、彼も元気になったのだな」

フェルゼンはゆっくりと窓辺に歩み寄り、厚い雲に覆われた空をながめた。
そして、ふっと微笑んだ。
パリで暴徒が貴族の馬車を襲っているのを見かけたときは、まさかオスカルだとは思わず、
とりあえず部下とともに鎮圧しようと駆け寄った。
突然の軍隊の出現に驚いた群衆の輪が切れ、そこに黄金の髪の高級将校を見つけたときは
我が目を疑った。
混迷のパリにいかにもという豪華な馬車で乗り入れるなど、直情的ではあっても、情勢の分析
にかけては徹底して冷静な彼女の行動とは思えなかったからだ。
しかも、ようやく助け出した彼女は、まだアンドレがあの中にいる、と叫んで、傷だらけのまま
暴動のまっただ中に戻ろうとさえしたのである。
きわめつけは、
「わたしのアンドレ!」
だった。

二人の絆がただの主従関係でないことは、当然知っていた。
まだルイ15世陛下の御代、アントワネットさまが落馬された責任を問われ、アンドレが厳罰に
処されようとしたとき、オスカルは命がけで彼を守った。
アンドレは、知らないものなら絶対に貴族と思う優雅な身のこなしで宮廷に出入りし、オスカ
ルの側近くにつき、衛兵隊に転属したときには、兵士として特別入隊したほどの仲だ。
暴徒に襲われている彼を見捨てることなどするはずがない。
当然といえば当然の彼女の行動だった。

だが…。
果たしてそれだけだろうか。

コンディ大公主催の舞踏会に現れた外国の貴婦人がオスカルだとわかった時、おのれのう
かつさに歯ぎしりしつつ、生涯の友と決別した。
一方的に友と思いこんでいたおめでたい自分、王妃さまとのことを何一つ隠さず相談してきた
自分に天罰が下ったのだと思った。
二度と会わないと告げてから、次に出会ったのは、王宮の庭園での王妃様との逢瀬の帰途
だった。
見回りの兵士から助けてくれた上、アンドレに見張りの少ない通路を伝えに来させてくれた。
衛兵隊でかなり苦労していた頃だったはずだ。
あのときもアンドレがぴったりとオスカルについていたのはそれなりに理由があったのだろう。

それからしばらくして、オスカルに縁談が持ち上がっていると伝え聞いた。
はじめは驚いたが、冷静に考えれば、ジャルジェ将軍の意図は充分理解できた。
お相手であるオスカルの後任の近衛連隊長は、両陛下の覚えもめでたく宮廷でも評判の良
い男だったし、副官として長くオスカルの側にいたから、彼女の特異な事情も了解済みだろう
し、様々な面で彼女の夫として適任と思われた。
人生の重大事に、本来なら一番に相談にのってやりたいところだが、それは許されないことだ
った。

近衛連隊長との話が難航しているのでは…と思ったのは、ジャルジェ家で花婿募集の舞踏会
が開かれると聞いたときだった。
オスカルとのいきさつを知らないジャルジェ家からは、自分の所にも招待状が届き、当然丁重に断りを入れたが、その舞踏会が兵士の乱入で壮絶な結果を迎えたことは、しばらくベルサ
イユ中の評判となって、自分の耳にも入った。
やはりオスカルはオスカルだ。
親のいいなりになんぞそう簡単にはなるまい、と、うれしくもあり痛快ですらあった。

馬車襲撃事件はその直後だった。
暴動鎮圧後、そのままスウェーデンに帰る自分に、オスカルからの報告がいつ来るかと、行
軍のスピードをやや遅めにして待ったが、ついに来なかった。
よほど怪我がひどかったのかと思い、帰国後、フンンス駐在のスウェーデン大使に問い合
わせの手紙を出した。
ロシアとの戦闘の最中に屋敷から転送された返事は、ジャルジェ准将は異常なく衛兵隊に
勤務しており、現在はノエルの休暇中というものだった。
どうやら重傷ではないらしいと安堵し、フランスの情勢はわかっていたから、自分への報告は
この休暇中に出すつもりなのだろう、としばらく待ってみたが、これまた来なかった。
あまり再々大使に問い合わせるのも妙なので、どうしたものかと思っている時に、この商人が
面会を求めてきた。
混乱の中で今までのようにたびたび仕入れに行けなくなるだろう、という商人の勘で、大量に
フランス製品を買い付けに行く際に、お得意様であるフェルゼン伯爵家にも注文伺いに来た
らしい。
これ幸いと、手紙を言付けた。
手紙は詰問調にならぬよう、細心の注意を払った。
報告がないことを心外に思って嫌味を言ってきた、ととられないよう、明るい文体を心がけた。

そして、今日、ようやく返事が届いたのである。
商人が退出したのを見届けて、フェルゼンは早速封を切った。
懐かしい文字が目に飛び込んできた。
そして懐かしい言葉の調子。

だが、やたらとアンドレという文字が目につく。

いわく、自分は大丈夫だったが、アンドレの怪我がひどく、報告ができなかった。
いわく、ノエルの休暇にゆっくりと休養させたので、彼は今は大変元気になった。
いわく、アンドレはフェルゼンが自分たちを救出してくれたことに大変感謝している。
いわく、今度貴公が来仏された折りにはアンドレとともにぜひ御礼をしたい…。

「アッハッハッハッ!」
フェルゼンは広い部屋に響く声で笑い出した。
「これは、また…!14,5才の小娘でも、これほどあからさまなものは書くまいに…!」

商人を送り出した執事が部屋に戻ってきて、破顔大笑している主人に目を白黒させた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない」
といいつつ、笑いが止まらないらしい様子に、日頃の苦渋に満ちた主人をこれほど愉快にさ
せてくれるジャルジェさまのお手紙とはどんなものだったのだろう、と謹厳実直な執事はぜひと
も中身を知りたい欲求を苦労して抑え込んだ。

ひとしきり笑ったフェルゼンは失ったと思っていた生涯の友が、再び自分のもとに帰ってきた
ことを実感した。
そしてできるだけ近いうちにフランスに行き、友と、友の伴侶とともに飲み明かし、語り明かし
たい、と震えるような幸福感の中で思った。
    
                                                  
                                                   終わり




3  フェルゼン