6月26日、国王はフランス全土から軍隊を召集した。
オルレアン公などの親戚筋の貴族すら、平民議員の側についたのだ。
かくなる上は、武力によって国王の権威を知らしめるしかない。
力を持つものは誰なのか、神から統治の権利を授かったのは誰なのか、周知徹底する必要があった。
軽騎兵連隊、ロワイヤル・クラバート連隊、サリス・サマード連隊、ロワイヤル・アルマン連隊がベルサイユへ、パリへ進軍をはじめた。
そして近衛の重鎮として、真っ先にこれらの指揮を行うべきジャルジェ将軍は、今や軍隊を辞し、宮廷ではなく、自身の書斎で、どの連隊よりも手強い連中と一戦を始めていた。
心ならずも断腸の思いで行った謁見を昨日終えたばかりというのに、、ベルサイユ在住の娘三人は、さあ、お引っ越しですわよ、とそろって押しかけてきたのだ。
そして、今動くのは時期尚早と唱えた父と真っ向から対立した。
「いいか、フランス中の軍隊が動員されているのだ。街道という街道が軍隊の通り道になる。今すぐ動くのは危険極まりないということがなぜわからんのだ?!」
将軍は繰り返し同じ言葉を言うのに疲れ、ついに雷を落とした。
だが、雷というものは、恐れている人には恐ろしいが、恐怖心の替わりに避雷針を持っている人間に対しては、全く効果がない。
「今さら男に二言があったとおっしゃるのですか?すぐにもベルサイユを引き上げ、アラスにこもる、とおっしゃいましたのに…!」
連隊長でも務まると、かつてアンドレを驚嘆せしめたジョゼフィーヌが、父にかみついた。
「ええ、たしかにおっしゃいました。わたくしもこの耳ではっきりと聞きましたわ。」
ジョゼフィーヌに負けず劣らぬ豪胆なマリー・アンヌが加勢する。
「そのお言葉に涙ながらに感激いたしましたのは、つい先日のことでございましたのに…。」
いかにも優しげな口調でカトリーヌが参戦した。
一対三ではどうにも情勢不利である。
「事態は動くのだ。軍隊の行列とかちあわせしてみろ!宿場で何日も過ごす羽目になるではないか。」
まったく女というものは、どうしてこう頭が固いのか?
国王陛下が全軍出動を発令されたのだ。
ベルサイユ近郊の街道が軍馬に埋め尽くされることがなぜわからんのか。
だが、しかしオスカルならともかく普通の貴族の娘として育てたものたちに、軍隊のことを話したところで理解できるはずもない。
将軍は空しく嘆息した。
「お父さま、ご命令は出されたばかり。各軍が出立するには相応の準備が要りましょう。今すぐ街道が通行できなくなるわけではございませんわ。」
どこで仕入れたか、なかなか鋭い意見をジョゼフィーヌが言う。
「さようでございますとも。むしろ軍隊が出発する前にこちらが街道を通り抜けてしまえばよろしいのですよ。ぐずぐず様子見などしていましたら、それこそ本当に出発できなくなってしまいましてよ。」
マリー・アンヌが脅しをかけてきた。
どいつもこいつも…と苦虫を噛みつぶしつつ、だが、確かに娘たちの言うとおりだった。
軍隊というものは、出動命令が出たからといって、即座に動けるものではない。
武器、弾薬、馬、食糧など、その連隊の規模が大きければ大きいほど、準備もまた大がかりになり、出発はずれ込むものだ。
アラスまでの道のりを考えると、早く出たほうが混乱にまきこまれる確立は格段に少ない。
自身がいつでも出動準備を整えた模範的な軍人であることと、国王直近の警備が任務のため常に緊張感を持つ近衛隊に所属していたことで、出動態勢を整える時間など、なにほどもないと思いこんでいたが、遠い地方の連隊では、かえって規律も緩み、即座に出動とはいかないだろう、と指摘されれば言葉に詰まるしかなかった。
「大騒ぎしそうなオスカルは大層おとなしく部屋で謹慎いたしております。今こそ、アラスに連れて行く絶好の機会ですわ。」
ジョゼフィーヌは言葉数の少なくなった父にここぞとばかり追い打ちをかけた。
「部屋から一歩も出て参らないそうですね。」
カトリーヌが心配そうに尋ねた。
「ええ。おやすみにもならず、お食事もお召し上がりにならない、とオルガがこぼしておりました。」
ジョゼフィーヌが訳知り顔で説明する。
「そんなことをして大丈夫なのかしら…。」
マリー・アンヌも顔を曇らせた。
「まあ、甘い甘い!あのね、お姉さまたち、自分が出て来なくったって、あの子には手足が別にあるじゃないですか。」
「あっ…!」
「アンドレ…!」
「ええ、そうですわ。その長い手足が、食事を届け、何から何まで世話を焼いているのです。案外部屋から出てくるより、ずっと居心地が良いのではありませんか?」
ジョゼフィーヌがしたり顔で解説した。
「なるほどね。さすがのあの子もわたくしたちの顔を見るのが恥ずかしいのでしょうね。年の割りには純情なこと…!」
三人の貴婦人の笑い声が響いた。
「もういい、下がれ!」
将軍がイライラとした声で言った。
もはや何を言っても無駄である。
一旦全権委任してしまったのだ。
今さらあとへはひけない。
将軍はオスカル同様、自分も引きこもりたくなってきた。
今になって、オスカルの気持ちが身に染みる。
「わしも謹慎の身だ。今後は誰も部屋に来るなと皆に伝えろ」
「はい、承知いたしました。ではこちらで万端準備を整えさせていただきます。6月いっぱいで完了させますので、お父さまもどうぞそのお心づもりでいらしてくださいませね。」
マリー・アンヌが娘を代表して締めの言葉を述べた。
「ふん…!勝手にしろ!」
「はい、勝手に致します。」
しれっと答えた彼女は妹たちに向かって言った。
「さあ、忙しくなりますわよ」
「もとより覚悟の上ですわ」
二人の妹は声をそろえた。
コロコロとした笑い声を立てながら、勇猛果敢な娘たちは父の書斎をあとにした。
以後、将軍は書斎にこもった。
食事にも出てこず、寝室にも行かなかった。
かろうじて夫人だけが出入りを許され、というか、許さざるを得なかったため、夫人は夫の世話に追われ、引っ越しは完全に三人の娘たちに委ねられた。
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