珍しく夫婦で宮廷の晩餐会に伺候したジャルジェ夫妻は馬車で帰宅の途にあった。
「あの子は、荒れておりますでしょうね」
夫人が眠っている振りの夫を無視して声をかける。
「ふん、一番近くにいて気付かんのだ。主人の風上にも置けんやつだ」
これもまた、眠っている振りをしていたことがばれていたといううしろめたさなどまるで感じ
させずに答える。
「アンドレはオスカルにだけは気付かれないよう心を砕いていたでしょうから」
「何が軍神マルスの子として生きるだ。えらそうに。側近の異常にも気付かん軍神がお
るか。そんな奴がこんなぶっそうな時代によくも一個大隊率いておるわ。わしのいうことを
素直にきいておればよいものを…」
将軍が強引に押し進めた、近衛連隊長であるジェローデルとの縁談を、オスカルは徹頭徹
尾拒否し、あまつさえ、近来稀に見る豪華なものとなるはずだった婚約者公募舞踏会を完
膚無きまでにぶちこわしたのだ。
世間体もあり、そんなことがあったか、という顔で日々過ごしたものの、あちこちからジャル
ジェ家の前代未聞の舞踏会の噂は耳に入り、将軍を悩ませた。
さらに、それでも懲りずに求婚してくれていたジェローデル少佐も、馬車襲撃からまもなくし
て、丁重に断りをいれてきた。
確かに、アンドレの負傷を見て、茫然自失、顔面蒼白で、立っているのが不思議な程のオ
スカルの動揺ぶりを見れば、これを置いて結婚など考えられないだろう、ということは、将軍
にも理解できた。
−わしは、オスカルよりはよっぽど他人のことがわかるのだ。あいつは自分のことすらわか
っておらんではないか。
と、将軍は口には出さず、愛娘を罵倒する。
さらに、この馬鹿娘は、これからは軍神マルスの子として己を剣に捧げる、とまでほざいたの
だ。
「それでもやっぱり、私はあの子がかわいそうな気がいたしますわ。やっとアンドレが元気
になって、明日から一緒に行けると、それは楽しみにしていましたのに」
確かに、正直にアンドレの眼のことをうち明ければ、オスカルは傷つくだろう。けれどそれは
治らない場合のことだ。ラソンヌ医師によれば、今、治療を受ければ完治するというのだから
、真実を話すより、理由不明のアンドレ失踪のほうが、よほどオスカルにはこたえるはずだ、
と夫人は思う。
ベルサイユ中に知れ渡る恥をかかされた夫が、せめて愛娘に一矢報いたいと、かわいい陰
謀を巡らすのは理解できないわけではないが、それでも娘の恋心につけ込むようで、同じ女
性として哀れな気もするのである。
まあ、本人がこの恋心に気付いていないのだから、正確にはつけこむと言えないのかもしれ
ないが。
馬車が廷内に入り、窓にかかる帳をわずかにかきあげた夫人は、玄関の扉の前で仁王立ち
のオスカルに気付き、やっぱりね、とため息をついた。
とにかく、時間が遅いことと、久方ぶりの宮中晩餐会で疲れたことを理由に、将軍夫妻は怒
鳴り散らすオスカルをかわして、寝室にすべりこんだ。
そしてどちらからともなく笑いだし、扉の外のオスカルに聞こえないよう、声を押し殺してしば
らく笑っていた。
将軍はざまあみろという思いで、夫人はあれでも気付かないのかしらというあきれた思いで
‥。
しかしやがて、そう育ててしまったのは自分たちであったと気づき、笑いを納め、せめてこれ
からの娘の幸せを保証してやりたいと思うのだった。
〈5〉