ブランデーの瓶が、また空になった。
誰かをよんで持ってこさせようか。
だが、それもおっくうだ。
アンドレがアラスに言ったと聞いてから、もう10日がたっている。
今日はまだ陽が高いのに、会議で連隊本部に顔を出した後、そのまま帰ってきて
しまっていた。
あの翌日、病み上がりのアンドレをどこへやったのか、と詰め寄る娘に、将軍は、
「領地に問題が起きたが、今、自分が行くわけにはいかないし、ましておまえも隊長職を
放り出して行くことはできない。事情がわかっており、問題の解決能力があって、さら
に領民と話ができるものといったら、アンドレのほかにないではないか。幸い彼は休暇
中だったのだし…」
と、何をカッカときておるか、というややさげずみのまなざしをむけて言ったのだ。
「畜生! あのくそ親父!」
子どもの時ならいざ知らず、大人になってからは、つとに使ったことのない品のない言
葉がオスカルの美しい唇からこぼれ出た。
考えてみれば、アンドレの負傷からの2週間は、出仕こそともにできなかったが、屋敷
に帰れば彼はいた。
事件当日の意識が戻るまでの間は、もしこのまま彼がいなくなったら、と恐ろしい不安
が自分をさいなみ、息ができないほどの苦しみだったが、やがて彼の意識が戻り、寝
たままとはいえ、会話もできるようになると、勤務を終えて帰宅すれば、まず彼の部屋
をのぞき、一日の仕事を報告し、実際彼でないとわからないことが多々あったため、い
ろいろとアドバイスを受けもした。
そうした日々の語り合いが、一日の疲れを癒し、また翌日への活力を与えてくれるもの
だとしみじみと感じられた。
このひとときが自分の幸福ではないか。
これを失うことは自分にとって、もはや考えられない。
そう思うと、彼女はすぐに行動にうつった。 
ジェローデル少佐を呼びだし、結婚はできない、と告げたのだ。
自分は安全な籠の中で平穏に暮らす人間ではない。
軍人として世の中を生きる自分こそが、本来の自分だ。
そしてそれに疲れたとき、羽を休める場所は、ともに育ち、自分の全てを理解してくれて
いる彼以外にはない。
彼のもとで一旦荷を下ろし、休息すれば、自分はまた、社会ではばたける。
私は彼とともに、生涯を軍人として生きたい。
ジェローデル少佐は納得してくれた。
そして立ち去り際、意味深い言葉を問うた。
「彼を愛しているのですか」
−虚をつかれた。
愛しているのだろうか。
彼とともに生きたいと思う。
それは愛しているということなんだろうか。
しかし、フェルゼンを愛していたときとは随分違う気がするのだ。
フェルゼンがアメリカへ去ってしまった間、自分は確かに苦しかった。
いつも心のすみにフェルゼンのことがあった。
けれど、仕事になんの支障もなかった。
近衛隊の任務は自分なりに完璧にこなしていた。
日常生活もそうだ。
食事ができないということもなかった。
酒で紛らわせたのは、あの一夜、アメリカからの帰還兵のなかに、フェルゼンの姿を見つ
けられなかったとき…。
でも、そのときも、酒の相手はいた。
ほかならぬアンドレが、酔いつぶれた自分の世話をしてくれていた。
決してひとりではなかった。
フェルゼンのことを愛していたのは真実だ。
そして、アンドレがいない今、私はひとりで酒を飲んでいる。
日々の仕事はもういっぱいいっぱいで、部下にすらとばっちりがいっている。
フェルゼンへの想いが愛ならば、今の私のアンドレへの想いはなんなのだ。
こんなのも、愛というのだろうか。
愛というのは、もう少し高尚なものではないか。
こんなどろどろの、そう、独占欲むき出しの執着心。
そこまで考えて、オスカルは絶望的になってしまった。
やはりブランデーのお変わりをもってこさせようと、卓上のベルを振った。



は じ ま り

〈8〉