母が面会に来た、という話をアランは思い切り笑い飛ばした。
そんなことがあるわけない。
先日、ラソンヌ医師宅を訪ねて直接母に会ったのだ。
母は、医師宅で大層元気に働いており、自分の解放を喜び、ディアンヌとともに、しっかり任務に励むよう激励したくれた。
何を今さら、わざわざ営舎まで面会なんぞに来るものか。
ハナから信じないアランに、飲み友達の事務官は、
「相手はおまえではなく隊長だ」
と、声を潜めてささやいた。
「えっ?!」
一瞬、顔がこわばった。
おふくろが…隊長に…。
何の話があるというのか。
隊長は面会謝絶のはずだろう。
部屋に出入りできるのは、あの小憎たらしい、したり顔のアンドレただひとり。
あとは、女医の往診だけ…、とそこまで考えて気づいた。
母は今、医者の元に身を寄せていたのだ。
「それで、おふくろは?」
顔色が変わったアランに事務官は、そら見ろ、驚いただろうと言わんばかりにしたり顔で説明した。
「ついさっき帰ったよ。息子には会わないのかって聞いたら、用はないってさ。まったくお愛想無しの似たもの親子だぜ。ディアンヌちゃんはホントにあのおふくろさんの子供で、おまえの妹か?」
真剣な顔で首をかしげる事務官をポカリと一発殴りつけると、アランは門へ走った。
だが、母の乗った辻馬車は、とうに姿を消していた。
「何しに来たんだ」
アランは誰とも無くつぶやいた。
それから、すぐに引き返し、営舎に駆け込むと、二階の元司令官室の扉を叩いた。
一応、寝ているはずの隊長を気遣い、いつもよりずっとおとなしいたたき方を心がけた。
しばらくして扉が開き、予想通りアンドレが顔を出した。
「面会謝絶だ」
とりつく島もない言葉が返ってきた。
「んなこたぁわかってる。ちょっとおまえに聞きたいことがあるんだ」
こちらも乱暴に応酬した。
「なら、ここでは無理だ」
アンドレは仮眠室のほうをちらりと見て言った。
休んでいるオスカルに要らぬ心配はかけたくない、という配慮が見て取れた。
「大声は出さん」
「全然信用できないな」
にべもない。
「…。では厩舎の裏だ」
目的達成のため、最大限の譲歩をした。
「よし。先に行ってろ」
扉は内側からバタンと閉められた。
この野郎、と舌打ちしながら、アランは一旦仲間のもとに戻った。
そして、自分の次の任務を確認してから、ちょっと野暮用で出かける、と班員に告げた。
「最近、コソコソが多いんじゃない?」
フランソワがいぶかしげにアランを見た。
「そうか?」
わざとらしくとぼけておいて、すぐにその場を離れた。
牢獄からの釈放直後に姿を消したこと、戻ってきてからも宴会の席でアンドレと二人っきりで話し込んでいたこと、など、不審に思ったフランソワがぜひとも事情を知りたそうに最近つきまとってくる。
興味半分だけなら無視すればすむが、心配半分なのが明らかだから、邪険にしない程度にかわしている。
いつもはたくさんの馬と人であふれかえっている厩舎は、時世を反映して見回りのためにほとんどの馬が連れ出されていて、おかげで世話係の姿も通常よりずっと少ない。
ましてその裏手となれば密談には格好の場所だ。
アランは壁にもたれて目を閉じ、じっとアンドレを待った。
少しは急いだフリだけでもを見せて走ってくればまだかわいいものを、アンドレはニヤニヤしながら悠然とやって来た。
アランの頭はあっという間に沸点に達しかける。
だが、それを懸命にこらえ、相手が目の前に来るの待った。
「そういえば、面会担当の事務官はおまえの飲み友達だったな」
アンドレが見透かしたように声をかけてきた。
「…」
「おふくろさんのこと、聞いたんだろう?」
「…」
アンドレは一気に話を本題に持って行く。
図星をさされて一旦黙り込んだアランは、そのペースに乗せられるのがいやで、ようやく口を開いた。
「何しにきたんだ?おふくろは…」
「なんだ、面会理由のほうは教えてもらわなかったのか?」
アンドレは不思議そうな顔をわざと作って尋ねてきた。
母が隊長に会ったと聞くや、すぐに駆けだしたから、それは聞いていない。
思えばうかつな話だ。
「おまえらしいな。いい加減、頭を使う大人になれよ」
アンドレはクスクスと笑う。
「うるさい!質問に答えろ」
アランは声を荒げた。
「そういうところも子供なんだな。人にものを尋ねるなら、教えてください、だろうが…」
アンドレはほとほと困ったガキだ、というふうにため息をついた。
「何かって言うとガキあつかいしやがって…!ごたくはいいから早く答えろ!」
完全に頭に血が上ってしまったアランを憐れみ深く見つめ、アンドレは望む答えを教えてやった。
「クリスの代理だよ。急患が入って彼女が来られないから、替わりにオスカルの様子を見て来るよう頼まれたそうだ」
「…」
クリスの代理…。
母がクリスの…。
アランは押し黙った。
「おまえがらみではない。安心したか?」
「…」
安心…?
違う、そういう問題ではない。
知りたいのは母のことではない。
隊長のことだ。
隊長が何を考えていて、今どうなっているのか、だ。
「ああ、そうそう、一言だけおまえがらみがあった」
アンドレが思い出し笑いをしながら言った。
「なんだ?」
すかさず問う。
「窓の外からおまえの怒鳴り声が聞こえてきて…」
アンドレは満面の笑みで答えた。
「子供は思うようには育たないってさ…」
「…!」
アランの顔が見る見る紅潮した。
「青いケツに赤い顔。おまえ、ほんとにガキだな」
とどめの一発だった。
アランの右腕がアンドレの顔面に向かって突き出された。
寸前にアンドレはあとずさりし、そのままくるりと向きを変えて営舎に向かって走り出した。
「いいおふくろさんだな。おまえにはもったいない!」
アンドレは振り返って大声で叫んだ。
アランは地団駄を踏んだ。
ちくしょう!ちくしょう! と十編は繰り返した。
いいようにあしらわれ、何も知ることが出来なかった。
面会謝絶の隊長の容体も、母と隊長とのやりとりも…。
アンドレの口から出たのは、「ガキ」「子供」「ケツが青い」の言葉だけだ。
アランは意を決して走り出した。
そして、速度をゆるめて歩いていたアンドレに追いつき、その肩をぐっとつかんだ。
アンドレが驚いて振り向いた。
「もう用はすんだだろう?」
崩しかけた身体のバランスをなんとか保って再び歩き出しながらアンドレは言った。
「隊長の望みはなんだ?」
ハアハアと息切れしながらアランは聞いた。
「部下のために職までかけて、命削って…。何が望みだ?」
そうだ。
おふくろのことなど関係ない。
知りたいのは、ただ隊長のこと、それだけだ。
アランの目は真剣だった。
アンドレは立ち止まった。
そして振り返り、アランの正面を向いた。
「オスカルはいつだって自分の信念に基づいて生きてきた。これまでも、そしてこれからも…。自分のしたことを後悔するような奴ではない。まして誰かのせいにしたりなど絶対にしない。もしおまえたちに望むことがあるとすれば…」
アンドレは一旦言葉をきった。
その口元を凝視してアランはゴクリと唾をのみこんだ。
「おまえたちも自分の信念に従って生きて欲しいということだろう」
「…?」
アランは目を見開いてアンドレを見た。
「各地の軍隊に出動命令が出ている。早晩この衛兵隊にも…」
アンドレは最後まで言わなかった。
だが、アランにはわかった。
この衛兵隊にも出動命令が下る。
俺たちに出動命令が…。
だが、何のために?
誰と戦うために?
「本来なら。オスカルはきっとそのとき、みずから指揮を取りたかったはずだ」
アンドレの言葉にアランはハッとした。
そうだ。
もし、今、出動命令が下っても、隊長は自分たちとともに行くことはできないのだ。
すでに軍を辞職し、隊長職はダグー大佐に移っている。
どれくらいの規模の動員がかかるか検討もつかないが、とにかくそのときの司令官は隊長ではない。
アランは呆然とした。
「何があるかわからない。だが何があっても、自分を信じろ。ブイエ将軍に命がけで逆らったおまえの行動をオスカルは誰よりも理解している」
アンドレはアランの目を見た。
アランもアンドレの目を見た。
狭い牢獄の中で、何度も隊長のことを考えた。
そして隊長は自分たちと同じように、ブイエ将軍に逆らったのだと気づいた。
隊長と自分たちは、たとえ身分や立場は違っていても、同じ考えを持っているのだ。
唯々諾々と上からの命令に従うのではなく、自分の信念を持ち、それを表明し実行する勇気を、自分たちも隊長も持っている。
ならば…。
ならば自分の心の中の隊長を信じよう。
たとえ何があっても、隊長ならどうするか、それを一番に考えて動こう。
それこそが隊長の替わりに隊長の望みを実現する道だ。
隊長が自分たちを救うために捨てた職責を、しっかりと引き継ぎ果たしていく。
アランは、ようやく自分の行くべき道が見えた。
「わかった…」
アランは一言だけ答えた。
アンドレがポンとアランの肩を叩いた。
優しいまなざしだった。
「じゃあな。しっかり頼むぜ」
すべてが託された。
志をともにする。
生きていく場所は違っても、志を継ぐ。
アンドレの口からではなく、隊長から直接聞きたかった。
だが、仕方がない。
どっちの口から聞いても同じことだ。
アランは叩かれた数倍の強さでアンドレの肩を叩き返した。
「おまえこそ、しっかり隊長の世話、頼むぜ!」
二人は互いに少し目を細め、それから別々の方向に歩き出した。
アランは仲間のもとへ、そしてアンドレはオスカルのもとへ…。
同 志