革命一周年の記念行事が無事終わると、寂しさに耐えきれなくなったベルナールからアンドレに、日頃辛辣なオスカルが読んでも同情するほどの文章で、妻子の帰宅を要請する手紙が届いた。
「懇願というか、哀願というか…。おれは同じ男として、そして同じ妻子ある身として到底看過できない。ロザリー、こちらはもう大丈夫だから、どうかパリに戻ってやってくれ。」
ロザリーに手紙を出しても、きっと「オスカルさまにお許しを得られたら…。」との答えしか得られないと踏み、はじめからアンドレ宛にしたのが大正解だった。
涙なくして読めないとばかりに、この件については、アンドレが一存で決定し、オスカルもいたしかたないことと渋々容認した。
そして感謝の意を込めて、相当額の謝礼が用意された。
ロザリーは、こんなにいただいたら、万一ベルナールと別れても充分ひとりでフランソワを養育していけるわ、とサラリと言ってのけた。
もちろんただの軽口で、そんなつもりはないのだろうけれど、アンドレはベルナールのためにあえて金額を減らそうかとかなり真剣に考えてしまった。
一方で、そんなことになったなら、いつでも帰っておいで、とオスカルが、まるでここがロザリーの実家のような口ぶりで言ったため、ロザリーは心底嬉しそうに笑った。
「あれじゃあ、近いうちに本当にこっちに戻ってくるんじゃないか。」
マロンはアゼルマとコリンヌに、小さくぼやき、顔をしかめた。
二人は深くうなずいた。
ロザリーの「オスカルさま命」が半端でないことは、半年に及ぶ同居で二人とも充分すぎるほど理解していた。
豊かな乳量と、細やかな気配りで、屋敷の方は大変助かったし、皆ロザリーが大好きだったが、長期にわたる夫婦の別居については、感心していない。
農夫だったエメの夫は、妻が乳母になったのを機に、不作で収入の上がらない畑を手放し、バルトリ侯のもとで船乗りの修行を始めていた。
そのため一度船に乗るとしばらく帰らない。
エメがゆったりと乳母という職務に専念できたのも、そのためだった。
ただ、こちらの亭主は、帰港するたびに妻子の顔を見に来ていたが、ロザリーの亭主は、この半年の間、一度もこちらに来ていないのだ。
しかも、そのことをロザリーが寂しがる風でもない。
どんな人だか知らないけれど、ベルナールという人は随分哀れなご亭主だ、ということでアゼルマとコリンヌの意見は一致していた。
馬車に乗りきらないほどたくさんの贈り物をつんで、ロザリーは、来たときと同じように、フランソワを抱いて車中の人となった。
真冬の凍てつく風の中だった往路と違い、帰路はまぶしい夏の日差しに照りつけられていた。
窓から何度も振り返りながら、ロザリーは夫のもとに戻った。
大きくなったフランソワを見て、ベルナールがどんなに驚くだろう。
この頃の子供の成長は恐ろしく早いのだ。
フランソワは、もうつかまり立ちができるようになっていた。
そしてベルはよちよちと歩き始めている。
ミカエルとノエルも、あと二ヶ月もすれば二人のあとを追うように自分の足で立ち、歩き始めるだろう。
ロザリーが去って一ヶ月後、エメとベルもどんぐり屋敷を離れた。
授乳の時期が終わったのだ。
もはやミカエルとノエルは、モーリスが心をこめて用意する離乳食で生きていける。
「亭主が長い船旅に出たときはまたこちらに参りますよ。」
ロザリーと違って、遠いパリではなくすぐ近くの領地内に住むエメは、すっかりどんぐり屋敷になじんだようで、ニコニコと亭主が迎えにきた馬車に乗って帰っていった。
亭主も、長く留守をするときは、こちらにお世話になっている方が安心だからどうかよろしくお願いします、と御者台からぺこりと頭を下げた。
どんぐり屋敷は静かになった。
ロザリーとフランソワ、そしてエメとベルの4人が去ったのだ。
若い女性と、2人の子供の姿が消えて、落ち着いたと言えば落ち着いたが、寂しくなったのも紛れもない事実である。
夏の終わりとあいまって、それぞれの胸に寂寥感がただよった。
中でももっともこたえたのがオスカルだった。
何くれとなくオスカルの側で気を配り、話し相手も務めてくれたロザリー。
そして、4人の子供たちの中で、もっとも自分になつき、抱き上げるとキャッキャッと声を上げて笑い、しかも初めて歩いたときたどりついたのはオスカルの腕の中だった、というベル。
2人の存在が、自分の中でかなりの割合を占めていたと、今更ながら気づいたオスカルだった。
窓辺で、ばあやの煎れたショコラを手にため息をつくオスカルを見て、アンドレは、バルトリ家に行く回数を増やしてはどうか、と提案した。
週二回というのが当初の約束だったが、ルイ・ジョゼフの体調が随分快復してきて、今ではもう寝台の上にいることもない。
きちんと着替えてオスカルの来訪を待ちかねている。
いっそこちらに引き取っても、と思うが、クロティルドが手放さない様子だ。
事情を聞いたニコーラとニコレットも弟ができたように喜んで世話をしているらしく、その賑やかな、けれど穏やかな環境が、薄幸の少年にはもっともふさわしいものだとアンドレも思っていた。
少しずつ快復しているとはいえ、病弱にはかわりないのだから、人手も多く、お抱え医師を要する侯爵邸は、その意味でも安心だった。
親しい人がいなくなった後の寂しさというものは、替わりの人を見つければ癒される、というような安易なものではないが、やはり何であれ熱心に打ち込めるものがあるというのは救いになる。
オスカルは、アンドレの提案通り、講義の回数を増やした。
しっかり予習復習を欠かさず勉強に向かう弟子のため、さまざまな書物を再読し、またより効率的な語学学習の方法を考案することに専念した。
この時期に、教えるためとはいえ、歴史を学び直すことは、オスカルにとって大きな意味を持った。
発展と衰退、隆盛と没落…。
人間の営みに必ず付随してきたそれらのものが、自分たちの時代だけ素通りしていくことなどあり得ない。
ルイ14世からはじまったフランスの栄華は、もはや残照でしかなく、新たな形を探さなければ国自体の存在が危ういものとなりかねない。
だが、ではどんな形がもっとも多くの人間の幸福を保証するのだろうか。
いや、その前に、多数の幸福のために、少数の幸福を犠牲にすることは、はたして許されるのだろうか。
オスカルはわき上がる自分の中の疑問を、包み隠さず、つまり知ったかぶりをすることなく、聡明な生徒の前で提示し、ともに考える道を取った。
20歳以上の年齢差、あるいは男女差は、多角的にものを見るにはむしろ有利だった。
パリやベルサイユから新しい情報が入ると、オスカルはそのままルイ・ジョゼフに伝え、どう解釈すべきか語り合った。
この授業には、アンドレも時間があれば参加した。
熱心に議論する師弟のかたわらで、穏やかな笑顔を絶やさぬ彼の存在は、ともすれば激しく熱する2人の鎮火剤となり、大いに存在感を発揮した。
ルイ・ジョゼフにとって、フランス国内では唯一の血縁となる国王一家は、夏の間、テュイルリー宮殿からパリ西郊のサン・クルー宮殿に移ることを許されて、11月までそこに滞在することになっていた。
時折、ふと遠くを見つめる少年の目が、はるか東、パリを向いていることに、オスカルとアンドレは、あえて気づかないふりをしている。
いつか、もしも時世が許せば、名乗らないまでも対面したい。
そんな少年の思いがかなえられる日は、来るだろうか。
決して口にしない希望は、痛いほどにオスカルの胸に届いていた。
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移ろいゆく季節