ゆっくり眠って目覚めたオスカルは、部屋の隅の時計を見た。
兵士達の夕食時間までにまだ2時間ほどあった。
倒れた自分を目の当たりにしたもの。
自分のためにパリまでクリスを呼びに走ってくれたもの。
またダグー大佐より自分が面会謝絶とされるほどの重体であると知らされたもの。
そして何よりも、すでに父が正式に謁見の場で、親子そろっての辞職を申し出たことを風の噂で耳にしたもの。
オスカルは、彼ら部下たちがどんなに動揺しているかを思った。
そして、自分のために兵士が沈痛な気分になることがないよう、何か手だてはないかと横たわったまま知恵を絞った。

優しいものたちを励まし、勇気づけ、自分の心が常に彼らとともにあることを伝える方法。
そして、さりげなく来るべき別れに際しての、餞別ともなる方法。
そんな手だてはあるだろうか。

窓辺に小鳥が飛んできて、賑やかにさえずりだした。
つられてもう一羽、やがて、二羽、三羽とそろい、さながら座談会のようだ。
そのさまが、まるで一班のおしゃべりのように聞こえてオスカルは苦笑した。
それから、ふと思い当たり、今度はにっこりと微笑んだ。
心地よい窓からの風と小鳥が名案を運んできてくれたのだ。
オスカルはずっと付き添ってくれているアンドレに良いことを思いついた、と打ち明けた。
話を聞いたアンドレも、顔をほころばせ、すぐに賛成した。
「委細承知。すべて段取りするから安心してじっとしていろ」
アンドレは足取り軽く、今や面会謝絶の隊長の病室となっている仮眠室を出て行った。





一時間後、たくさんの荷馬車が衛兵隊の食堂裏に横付けされた。
あまり高価ではないが、数だけは目をむくほどの酒瓶と、これもまた上質とは言い難いが、量だけは最大級の肉が、次々と荷馬車から厨房に運び込まれた。
料理人だけではさばききれないからと、数人の器用な兵士がアンドレによって選び出されすでに厨房で待機していた。
その兵士達から大歓声があがり、厨房は活気に充ち満ちた場所と化した。

めったにない賑わいぶりに、入れ替わり立ち替わり兵士達が厨房をのぞいていき、臨時料理人となった同僚から事の次第を聞かされては大喜びで触れ回り、あっという間にオスカルの計画は兵士全員の知るところとなった。

「1班の無事釈放を祝してささやかながら祝賀会を開いてやりたい。時節柄ぜいたくはできないが、出来る限り食料、酒類を調達してやってほしい。費用はすべてわたしが持つ」

オスカルがアンドレに依頼した話の内容は兵士達をこの上なく感激させると同時に、また一方で、面会謝絶とはいえ、このような配慮をしてくれる隊長の容態は、きっとそんなに危険なものではなく、おそらくはここ最近の情勢を理由とする疲労にちがいないとの安心感を持たせた。
いずれ正式に発表される隊長辞任と、その理由となる体調不良が、できるだけ深刻にではなく、自然に受け容れられるための苦肉の策でもあった。


腹を空かしたアランがパリから戻ったとき、すでにあたりはすっかり日が落ちていたが、食堂は遠目にも灯りの数が多く、また人の数も多かった。
そして、食卓には量だけ豪華な食材が所狭しと並べられ、一人一本は当たろうかと思われる酒瓶が鎮座していた。
フランソワが目ざとくアランを見つけ駆け寄ってきた。
「どこ行ってたんだよ?」
「ああ、ちょっと…な。それよりなんの騒ぎだ?」
「俺たちの釈放祝賀会さ。隊長が開いてくれるんだ」
「元気なのか?隊長は…」
「面会謝絶だって。でもこんな計画をしてくれるくらいだから、きっと大したことないんだよ。ちょっと大事を取ってるんだろう。俺たちのことで随分心配かけちまっただろうし…」

心配だけではない。
実際に隊長は動いてくれていたのだ。
自分の職を賭して…。
そのうえ、自分は参加できないにもかかわらず、俺たちのために祝賀会を開こうという。
アランは胸がいっぱいになった。
こうして隊長から与えられる恩恵に対して、自分たちは何を返しているのだろう。
何を返していけばいいのだろう。
いや、それよりも何を返せるのだろう。

隊長が最も嬉しいものとは何なのか。
アランはフランソワが厨房に戻っていくと、近くの椅子に腰掛けて、ぼんやりと窓の外を見つめた。
開け放たれた窓にはカーテンなどという洒落たものはなく、日よけ替わりの樹木が等間隔に植えられて、生い茂った葉がそよそよと騒いでいた。
汗だくだった身体が、少しずつ乾いて、同時に心に張り付いていたじっとりとしたものもかわかしていくようだった。

ポンと肩を叩かれて振り返るとアンドレが立っていた。
「どこへ行ってたんだ?」
フランソワと同じことを聞いてきた。
アランは自分の不在が結構知れ渡っていることに少なからず驚いた。
「午後からは自由だと聞いたもんでな…」
適当に誤魔化すつもりだった。
「探したんだ」
意外な答えに再び驚いた。
「何のために?」
「オスカルが倒れて、クリスを呼んで来て欲しかった。おまえなら場所がわかるから」

母がジャンとミシェルが来たと言っていたのを思い出した。
あれは俺の代役だったのか、とアランは気づいた。
「隊長はどうなんだ?面会謝絶だと、今、フランソワに聞いた」
「ああ。相当疲れがたまっていて、動かさない方が良いとクリスに言われた」
「俺たちのせいなんだろう?」
つい、聞いてしまった。
「そういうわけじゃない」
アンドレは予想通り否定してきた。

「今日行ってきたのは、ベルナール・シャトレという記者のところだ」
唐突なアランの言葉に今度はアンドレがピクリと眉を動かした。
「…」
どう返事をしようか迷っているようだった。
「市民をアベイ牢獄へと誘導した男だ。身体中から力がみなぎっている、だがギトギトはしていない、面白い男だった」
的確なベルナール評にアンドレはクスッと笑った。
「隊長に頼まれて、演説したと言っていた」
アランは笑うアンドレを無視して続けた。
「当然おまえは知っているよな。隊長とあの男の間で伝令係を務めていたのはおまえだそうだから…」
「ベルナールがそんなことを言ったのか?」
アンドレは不思議そうに聞いた。
「いや、この話は奥さんから聞いた」
「ああ、なるほど。ロザリーならわかる」
「あの夫婦とは随分親しそうだな」
「まあな。いろいろと訳ありで…」
アランは、ベルナールも詳しくは言わなかったことを思い出し、別の質問に移った。

「あの男は、自分は約束を守った、今度はそちらの番だ…と。そう隊長に伝えて欲しい、と言った」
アンドレの顔色がわずかに変わった。
「隊長は、約束を守るんだな?」
アランは、常になく静かに聞いた。
アンドレは、一つしかない瞳をアランに向けると、こっくりとうなずいた。
それから、言った。
「そのことを仲間に言うつもりか?」
虚を突かれたようにアランは目を上げた。
「確かにオスカルは辞職する。すでに父上のジャルジェ将軍が正式に国王陛下に申し出られてご許可が出た。だが表向きの理由は体調不良、心身の衰弱ということになっている。事実、様態は相当悪い」
何もわざわざ兵士達に、自分が原因だと思わせる必要はない、というアンドレの意志が伝わってきた。

今度はアランが沈黙した。
自分たちに、何も言わずに去るつもりだったのだ。
一切の負い目を感じさせないために…。
まさか自分が直接ベルナールに会いに行くとは予想できなかったのだろう。
辞職の原因は病気。
それで通すつもりだったのだ。
隊長が知らせたくなかったことを、しかも知らせたくない理由は自分たちを思いやってのことだったものを、自分は暴き出してしまった。

「オスカルは病気で除隊する」
アンドレははっきりと言った。
「それ以外の理由はない」
アランは窓の外に視線をはずした。
バサバサと鳥の羽音がした。
暗闇の中を数羽の鳥が飛び立っていった。
アランは再びアンドレを見た。
「そうだな。面会謝絶というのなら、よっぽどなんだろう。軍隊など続けられるはずはないな」
アンドレがほっとしたように微笑んだ。

「おまえも辞めるのか?」
アランがぼそりと尋ねた。
不思議なことを聞く、という風にアンドレが首をかしげた。
どんなときも二人はともに動く。
それは定理なのだ。
アランは、一度で良いからこいつを思いっきり殴りたいと心の底から思った。








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優しい時間 

〈1〉