まるで食堂が寝室になったかのような光景に呆然としながら、アンドレはあわてて身なりを整え、オスカルの所に走った。
すでに日はかなり高いところで輝いている。
自制心を限界まで働かせていたつもりだったが、次々と乾杯を迫ってくる同僚たちに律儀にこたえているうちに、意識がなくなっていき、気づけば自分も含めた衛兵隊は全滅していた。
ダグー大佐ですら、最上席と次席をつなげて簡易ベッドにしている。
意識のあるものの一人もいないすさまじい状態だった。

「随分長丁場の宴会だったんだな」
オスカルが氷のように冷たい視線でアンドレを迎えた。
「起きてたのか?」
アンドレは後ろめたさを隠して尋ねた。
「一日寝台の上にいるとはいえ、自堕落な生活はしたくない。時間がくれば起き上がれなくとも目は覚ます」
グサグサと皮肉を投げかけてきた。
「それは結構な心がけで…」
言葉尻をにごしながらボソボソと答え、寝台脇の椅子に座った。
「楽しかったか?この距離でわかるほど酒臭いが…」
匂いに敏感になっているオスカルは顔をしかめながら言った。
「そうか…。そんなに飲んだつもりはないんだが…」
明らかな嘘をついた。

当たり前だがオスカルは絶対禁酒をクリスに指示されている。
安静にするため動くこともならず、つわりのせいで食べることもならず、その上に禁酒である。
気分爽快でいろ、というほうが無理というものだ。
そこに持ってきてアンドレがいかにも飲み明かしました、という顔で、随分太陽があがってからやってきたのだ。
こいつには思いやりというものがないのか、と、日頃なら絶対思わないことを思ってしまっている。
「フン!」
オスカルは完全にそっぽをむいた。

「若干遅刻しましたが、昨晩の報告をいたします」
突然アンドレは立ち上がり、敬礼をした。
驚いてオスカルが振り向いた。
済ました顔でアンドレは続ける。
「まず、最上座は隊長の席だから、と空席で、ダグー大佐は次席につかれ、そこで隊長からの伝言を読み上げられました」
オスカルは目を見開いた。
「長話でごちそうがお預けになるのは避けたいという本心が見え見えだった兵士達は、一斉に沈黙し、それに聴き入りました。そして大佐が読み終わると、乾杯と発声され、全員が大声で唱和しました。その声はおそらくこちらにも聞こえたのではないかと拝察いたします」

あのとき野獣が叫んでいるようだ、と思ったのだった。
地響きまで伝わってきそうだな、と。
同席できない情けなさを押し殺し、楽しんでくれよ、とつぶやいた。
楽しい、優しい時間を、部下に送りたかったから。
そしてその願い通りにことは運んだのだ。
ここで怒っているのは不合理だ。
オスカルは平時の表情に戻り、報告の続きを待った。

「まずは食糧、続いて酒が卓上から消えていきました。一班の連中がやって来て、隊長の不調は自分たちを心配してくれたせいだろう、と言いました。そのことを皆で獄中心配していた、とも…」
アンドレはここで言葉を切ってオスカルを見た。
「そうか…。彼らはわたしの心配をしてくれていたのか…。獄中で…」
オスカルは瞳を閉じた。
暗い牢獄で、わたしの心配を…と思うと胸が詰まった。

アランがベルナールのもとを訪ね、オスカルの行動を知ってしまったことは、言わなかった。
アランは誰にも話していないのだ。
もとより、自分が依頼した形だが、アランも同意して内密にしてくれている。
アランなりに葛藤はあるだろうが、アンドレにとって最も大切なことはオスカルの精神状態だったから、要らぬ負荷がかかる話は聞かせたくなかった。
もちろんずっと黙っているつもりはない。
時期がくれば話す。
ベルナールとアランが顔を合わせ、話をしことは、情報としてオスカルの耳にもいれてやるべきことだ。
だが、それを話すのは今でなくて良い。

「そのあとは、乾杯の嵐だった。隊長に、そして解放に動いてくれた市民に…。、次々と名前があがって…。今、食堂は兵士の寝所となっている」
アンドレは再び椅子に座り、微笑んだ。
「そうか…」
飲みつぶれた仲間を置いて、アンドレはきっと大あわてでここに駆けつけたのだろう。
「おまえももう少し休んだ方がいいのではないか?」
アンドレをいたわる言葉が自然に出た。
「ありがとう」
アンドレは嬉しそうに笑った。
「大丈夫だよ。そろそろみんなを起こして、朝の勤務につかせてこないとな。なんといってもダグー大佐まで食堂で寝込んでいるのだから…」
「ほう…!大佐の飲みつぶれた所は想像できないな。だがいつどんな命令が入るかわからない。そろそろ大佐には起きてもらわんと…。アンドレ、頼む」
「ああ、わかった」
アンドレは再び立ち上がった。

扉に向かいかけて、ふと振り返るとアンドレは言った。
「少し息をとめてくれ、オスカル」
「え…?」
「早く!」
オスカルは呼吸を止めた。
頬にアンドレの唇が寄せられ、瞬時に離れた。
「酒臭いからな。すまない」
アンドレは申し訳なさそうに言うと出て行った。

「馬鹿野郎。頬に匂いがついてしまったではないか…」
ぶつぶつとこぼしながら、だがこの匂いはあまり吐き気を誘わない、と思った。
そして毎日往診にやってくるクリスに、案外酒は良いのではないか、と提案することを思いついた。
が、すぐにその匂いが酒ではなくアンドレのものだと気づき、今思いついたことをうれしさ半分寂しさ半分であきらめた。












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優しい時間 

〈3〉