予 兆
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三月いっぱいで選挙は終わった。
パリに詰めていた衛兵隊ベルサイユ駐屯部隊は四月から再びベルサイユに戻り五月の三部会開会に向けての準備に大わらわとなる。
全国から集まる議員600余人が一同に集う開会式の警備をはじめ、各議場での会議中の周辺巡回、議員の身柄の安全確保など、割り振られる仕事は山のようにある。
それらがすべて円滑に行われるよう、他の部署や隊との連絡で、隊長以下幹部は当分会議に忙殺されるはずだ。
せっかくお近づきになれたのに、と嘆く留守部隊兵士のために、隊長との食事会は、パリにいる間に行いたい、とフランソワがアンドレに提案してきた。
ほんとにおまえは優しくて、そして世話焼きだな、と感心しながら、アンドレは段取りをつけてやった。
これでオスカルの評価がいくばくかでも持ち直せばいいな、などと、保護者のような心境の自分がおかしくもあるのだが。
アンドレの段取りとは、つまり、広くはない食堂に、あるだけの椅子を並べ、司令官室から上等な椅子を一脚失敬して、中央前面のテープルに置いて隊長席とし、昼食会というよそ行きの名前にふさわしい形を取り繕ってやることだった。
参加者を希望者のみ、と募ったところ、全員手を挙げたため、門番すらいなくなり、このかわいそうな役目は日頃から隊長と食事ができるアンドレこそが適任だと全員一致で推薦してくれて、アンドレはたったひとりで銃を抱えて、門に立つことになった。
事の次第を聞いたオスカルは大笑いして快諾し、気の毒な門番に食事の保証だけはしてやってくれ、とフランソワに依頼した。
野郎たちのムンムンした熱気で一杯の中、隊長が着席した。
それだけで拍手が湧く。
座り慣れたそれなりに高価な司令官室の椅子と、食堂の粗末なテーブルの組み合わせが、何とも言えぬ雰囲気を醸し出していて、オスカルは思わず苦笑した。
フランソワが立ち上がり
「本日は、我らが隊長が昼食を、我々とともにされます!しばらく一緒に仕事をした留守部隊とのお別れ会も兼ねて、酒はだめだから、手元の水で、さあ、乾杯!」
と、細い身体に似合わぬ大声で口火を切った。
「おー!」
という獣の叫び声のような音声が響き渡り、全員が水を飲み干した。
その飲みっぷりも尋常ではない。
水で乾杯などしたことのないオスカルはただただ仰天するのみである。
こいつらはひょっとして水と酒の区別がつかないのではないか、と思っているとフランソワが、ひとことご挨拶を、と促してきた。
水の入ったグラスを置き、オスカルは、すっと立ち上がった。
すると騒いでいた一同は水を打ったように静まりかえった。
「諸君、パリでの巡回勤務、ご苦労だった。無事選挙が終わり、いよいよ今度はベルサイユでの開会式だ。一層警備に奮闘してもらいたい。そして留守部隊の諸君、窮屈な思いをさせてしまったが、これで一段落だ。世話をかけたが同じ部隊の仲間として、これからも互いに協力して任務に当たって欲しい」
「はい!」
と、子どものような返事が留守部隊組から返り、オスカルはにっこり微笑んだ。
そして続けた。
「わたしからのささやかな報償として、諸君たちに明日から3日間の休暇を与える」
「やっほー!」
「隊長ばんざい!」
「ヒューヒュー!」
口笛と怒号の中、フランソワが
「さあ、食べろ!」
と号令をかけた。
「いっただっきまーす!」
椅子のガタガタという音と、フォークとナイフのガチャガチャという音だけを残してすさまじい喧噪の続きとは思えぬ嘘のような静けさの中、兵士たちは一心不乱に食べることに集中していた。
オスカルは、見事な食べっぷりだな、と舌を巻きながら、この集中力が任務にも発揮されればどんなに見事な集団になることか、と嘆息をもらし、しかし、その勢いにつられるようにこのときばかりは食が画期的に進んだ。
一番早く食べ終えたのはアランだった。
アランは珍しく控えめに後方の出口付近に席をとっていて、食べ終わると周囲に気づかれないよう食堂を抜け出した。
そして門番をしているアンドレのもとに急いだ。
手持ち無沙汰で、ひとりで警護していたアンドレは驚いてアランを見た。
「もうすんだのか?」
「いや、みんなはまだだ。ちょっとおまえに聞きたいことがあってな」
アランは、アンドレを真っ直ぐに見た。
「とりあえず、医師の診察では大したことはない、とのことだった」
アンドレはアランの知りたいことを察して聞かれるより先に答えた。
ラソンヌ医師の診断は、疲れだろう、というものだった。
当のオスカルが、すっかり元気になったのだから診察などいらない、と言っているのを、せっかく来てもらった医師に悪いと、なだめすかして受診させたものの、寝台に横たわるわけでもなく、背筋をピンと伸ばして椅子にかけたままのオスカルに、医師も脈をとるのが精一杯で、どれほど正確な診断がくだせたのかは、はなはだ怪しいものがあった。
無論、その診察の最中はアンドレが同席できるわけもなく、扉の外で不安な思いを抱えたまま立ちつくすのみだったのだから、余計に疑わしい。
だが、そのようなことまでアランに伝える必要はない。
オスカルがもう大丈夫だといい、医師が疲れだと言っている以上、自分にできるのは負担軽減と、よりよい環境整備しかないわけである。
その一環として現在進行中の昼食会も設けたのだ。
いわゆる「気分転換」である。
緊張感満載の警備からしばらくとはいえ解放してやり、楽しいだけのお祭り騒ぎを体験させて、彼女の心と体を休息させるためなら、自分抜きの昼食会の段取りくらいお安いものだった。
「そうか。ならいい」
アランはそっけなく答えた。
それだけを聞くために、わざわざ一日のうちで゜一番楽しみにしている食事を、しかもオスカルと同席の昼食会を高速で切り上げ出てきたアランに、アンドレはくすっと笑い言った。
「おまえなら直接聞けばいい」
「身体のことだ、聞けるかよ。一応女なんだろう」
顔を横にむけてアランが言った。
それもそうだな、とアンドレは面構えと似合わぬ細やかな配慮をするアランに好感を持ってしまった。
「まだ中では続いてるんだろう。ここは俺ひとりで充分だから、戻れよ」
アンドレは、アランの背中を押した。
「別におまえの仕事を助けるつもりはない。邪魔したな」
アランは渋面のまま、戻っていった。
「隊長、いつも家で食べてるものと、ここで食べるものとは全然味が違うんじゃないですか?」
ジャンが恐る恐るといったふうで聞いた。
「そうだな。だがここのものはここのもので充分食するに値するものだぞ」
と答えながら、貴族が日頃食べる豪華な食事、兵士たちが食したことはおろか見たことすらないような豪華な食材を使った晩餐を、あたりまえのように口にしてきたこれまでの生活を、オスカルは忸怩たる思いで振り返る。
恵まれた立場にたまたま生まれついただけで、完全に保証された豊かな生活。
そしてその対極に、たまたま貧しい家庭に生まれついたために、兵士に支給される一人分の食事をあてにして、面会日に持ち帰る隊員の家族たち。
だめだ、こういうことを考えているとまためまいが起きる。
オスカルはあえて気分を変えようと
「ほかに聞きたいことはないか?今なら支障のない程度に返答してやるぞ」
と隊士たちに声をかけた。
するとハイ、ハイとあちこちから手が上がった。
議長になったかのように、フランソワが、
「では、まずピエール君、質問をどうぞ」
と、もっともらしく指名した。
ピエールは、はい、と答えて立ち上がり、
「隊長の好きな花はなんですか?」
と聞いた。
もっと下世話なことを聞いてくるかと思えば、これはまた可愛い質問である。
「そうだな、薔薇が好きだな。特に白がいい」
「へえ〜、白薔薇かあ」
ピエールが嬉しそうにうなずく。
するとジャンが
「こいつ、花売りの娘にぞっこんで、何かと理由つけては、その道ばかり通ろうとするんですよ〜。ピエールから白薔薇をプレゼントされても、動機は不純なものですから、隊長、だまされちゃだめですよ」
と、真剣なまなざしで訴えた。
万一ピエールから白薔薇をもらったところで、何をだまされるというのか、オスカルはいまひとつ理解できなかったが、真っ赤な顔になったピエールがかわいらしく、
「どこの通りの娘だ?」
と、聞いてみた。
ピエールは
「え…と、あの、いいです。わざわざ隊長に言うことじゃないし…」
と、ゆでだこのような顔でうつむいてしまった。
「うまくいくといいな」
オスカルは、優しく励ました。
フランソワが
「次の質問にいくよ。誰かあるか?」
としきった。
またまた、多数の手があがった。
「ではラサール」
はい、とラサールが立ち上がった。
「もう舞踏会はないんですか?もしあるなら、またよんで欲しいんですけど…」
「おお!いい質問だァ!」
と歓声があがる。
ラサール、おまえもフランソワ化してきているぞ、とオスカルは思った。
痛いところをつかれて、やや狼狽しつつ、けれどもそれを決して悟られないよう、淡々と返答した。
「こういうご時世だ。気楽に舞踏会なんぞしている暇はない」
ましてあのような趣旨の舞踏会なぞまっぴらごめんだ、とオスカルは苦い過去に顔をしかめた。
「残念!料理めちゃくちゃうまかったのになあ…。きれいなお姉さんもいっぱいいたし、しっちゃかめっちゃか騒いでよかったし…」
ラサール、過去の古傷をえぐってくれるな、その件では、父上、母上から有形無形のしっぺ返しを蒙っているのだ、とオスカルは身体の力が抜けていくのを気力で防ぎながら思った。
「あれって、隊長が結婚相手を募集するためのだって噂だったけど、いい人いなかったんですか?」
ラサールに続いて、ミシェルが波状攻撃をしかけてきた。
「きれいなお姉さんだけじゃなくて、キンキラに着飾ったお兄さんたちもいっぱい来てたよなあ」
「そんなことがあったのか?」
と、何も知らない留守部隊の連中が興味津々で聞いてきたのに気をよくして、ラサールやミシェルが、事の次第を親切に解説しはじめた。
「オホン!わたしは軍隊に身を置くものだ。そんなキンキラキンと結婚などするか!次!次の質問はないのか、なければフランソワ、そろそろお開きだ」
大人げないと思いながらも、これ以上この話をつっこまれるのはやはりたまらない。
オスカルはフランソワをうながして、やや強制的に閉会の辞をのべさせた。
自分から提案した質問大会であったことは、この際目をつむった。
隊士たちは、ええ〜と不平をもらしながらも、ぞろぞろと全員が席を立ち、行儀良くトレーを返却口に返しに行き始めた。
こういうあたりが、以前にくらべて格段に素直になったな、と多少機嫌を快復して、食堂を立ち去りかけたオスカルの背後から、兵士たちの話が聞こえてきた。
「もう終わりか〜」
「ラサールが変なこと聞くからだぞ」
「俺、何も変なこと聞いてないよ。あの料理がもう一回食いたいな、と思っただけじゃないか」
「そういえばそうだな。隊長、なんであんなにあわてておしまいにしちまったんだろう」
「俺、思うんだけどさ、隊長、ふられたんじゃないか」
「え?」
「舞踏会でさあ、いいのを見つけたけど、あのいでたちだろう?しかもあの腕前。相手が恐れを成して断ってきたんじゃないか」
「なるほど。失恋か…。ありえないことじゃないな」
「だから思い出したくない。話題にしてほしくない」
「なんか納得できるな」
「そうだろう。失恋から立ち直るために、仕事に専念してるんじゃないか、と」
立ち止まっているわけにも行かず、食堂を出たオスカルは、一連の会話に、完全に脱力した。
なんでそうなるのだ?と叫びたい心境だった。
言っておくが、いや、言えるわけもないが、あのときふったのはわたしだ、と、意地のようなものがむくむくと心中にわいてくる。
失恋して意地になって仕事をしたことが、過去になかったとは言わないが、それは断じて今回ではない。
今は心身ともに大変充実して仕事に専念しているのだ。
憤懣やるかたないオスカルは、すぐには司令官室に戻らず、門番をしているアンドレのもとへ向かった。
食堂から出てきた当番が交代にくるまで、律儀な彼はひとりで立っているはずだった。
まさか、隊士の会話の中身を彼に伝えることはできないが、とりあえず、司令官室に戻る前に一目、顔を見ておこうと、無意識に身体が動いていた。
案の定、アンドレは銃を肩に背負って通りを向いて立っていた。
「ご苦労だったな。もうすぐ交代要員がくる」
後ろから声をかけた。
ゆっくり振り向いたアンドレは
「早かったな。しっかり食ったか?」
と聞いてきた。
「まあな。あいつらのすさまじい勢いにつられて、今日は残さずに済んだ」
アンドレが満面の笑みをこぼした。
「それはよかった。楽しかったか?」
と聞かれ、オスカルはしばし考え込んだ。
楽しかった…のだろうか。
賑やかな連中、いやうるさい連中、だが好きな花など聞いてくるかわいい奴ら、このわたしがふられたなどとけしからん話をしている奴ら…。
クスクスと笑えてきた。
「ああ、それなりにな」
「そうか。ではベルサイユに戻ってもたまには企画してやろう」
屈託なく言われて、オスカルは再び考え込んだ。
「いやか?」
心配そうにアンドレが聞いた。
「そうだな。だが、次回からは質問タイムはなしだ」
アンドレは、首をかしげた。
なんだ、それは?と黒い瞳が聞いているが、答える気のないオスカルは
「交代要員が来たぞ。早く食堂に行ってこい。おまえの分は確保されてるはすだ」
とアンドレの背中をトントンと叩いた。
何があったかは知らないが、まずは楽しかったのだろう、とその手の優しい動きからアンドレは推し量った。
馬上、崩れ落ちたときのオスカルの感触は忘れていない。
何か悪い兆しか、という疑いもぬぐい去れてはいない。
だが、とりあえず、今日は、食事もしっかりとり、気分もよさそうだ、とアンドレは胸をなで下ろした。
三部会まであと一ヶ月。
二度と自分の目前でオスカルが倒れるようなことはさせまい、とアンドレは食堂に向かいながら思った。
終わり