アンドレはオスカルの行動を完全に把握し、管理している。
それがなぜ可能か?
答はいたって簡単、四六時中一緒にいるからである。
別行動は、ほとんどない。
とくに夫婦になってからは全くない。
仕事中も休暇中も一緒。
それは、相思相愛の双方にとって望むところで、だから不自由を感じたことはただの一度もない。
終日同伴は二人にとって当たり前、常識、日常であった。

それゆえ、今、アンドレはものすごく困っているのだ。
オスカルにばれないように、別の人間と飲みに行く。
そんな単純なことが意外に難しい。
おそらく近衛隊時代なら結構簡単にできていた。
アンドレは近衛隊士ではなかったから、普通に休暇をとることができた、
そういう時間に何をしようと自由だし、互いに詮索する必要もなかった。
いや、衛兵隊に移ってからも、しばらくはできた。
だが今は、できない。

フェルゼンから手紙を受け取ったのが昨日だった。
一緒に飲みたいから都合のつく日を教えて欲しいとあった。
自分は今週いっぱい休暇だから、その間ならいつでもいい、とも添えてあった。
今晩には返書を出さねば失礼だ。
執事のラケルもきっとアンドレの顔を見れば返事を書いたかと聞くだろう。
フェルゼン伯爵の気まぐれも困ったものだ。
やはり丁重にお断りするべきか。
現実問題として、衛兵隊は現在、ベルサイユとパリの両方の警備に当たっている状況で、オスカルも月の半分はパリに出張っている。
今日はたまたま運良くベルサイユの屋敷に帰ってこられたが、パリに泊まり込む日もある。
そのような中で、フェルゼン伯爵とこっそり飲みに行くなど、不可能に近い。
だが…。
やはり男としてフェルゼン伯爵という人間とゆっくり話してみたい。
オスカルの初恋の相手。
オスカルの思いを拒絶した男。
フランス王妃の愛人であることに耐え続けている外国人貴族。
その内面に触れてみたい。
もちろんこちらから働きかける気など毛頭なかったが、あちらが是非にと望んでくれているならば、一度は同席してみたかった。

軍服を着替え、オスカルの部屋に行く前に、アンドレは厨房に顔を出した。
衛兵隊員ではあるが、ジャルジェ家の使用人でもある。
何か仕事があるかも知れない。
案の定、マロンが味見をしていた手を止めて、アンドレを呼んだ。
走り回っている仲間の間をすりぬけて祖母の前に移動する。
「ちょうど良いところに来てくれた。これが故障しちまってね」
マロンが首から懐中時計をはずした。
それから料理長を振り返り、この味でいいよ、と告げた。
料理長は使用人たちに、料理を広間に運ぶよう指示を出した。
マロンの権限は絶大である。
「それ、おふくろのだね?」
はずした時計をマロンがアンドレに見せた。
「ああ、そうだよ。正確にはあんたの父親の形見で、それをあの子がもらって、それからあたしのところに回ってきたものだけどね」
とりたてて上等でもない懐中時計は、アンドレの父から母、そして祖母へと持ち主を変えながらも時を刻み続けていた。
「もう直らないのかねえ…」
「いや、案外大丈夫だよ。今度の休暇のときにおれがパリの時計商に持っていってみよう」
「そうかい、助かるよ」
喜ぶ祖母からアンドレは時計を受け取った。
父と母の形見だ。
ぜひとももう一度動いてほしい。
アンドレは時計を上着のポケットにそっとしまった。

そして、はたと気づいた。
次の休暇は3日後だ。
時計の修理にパリに行くなら、オスカルとは別行動ができる。
このようなささいな用事にオスカルが同伴するわけはない。
両親が助け船を出してくれたのか。
「じゃあ、頼んだよ」
マロンは機嫌良く言うと小走りで厨房を出て行った。
「ああ、任せといてくれ」
その背中に声をかけながら、心の中で祖母に礼を言った。
ありがとう、おばあちゃん。
おかげでフェルゼン伯爵に断りを入れなくてすむ。
アンドレは急いで執事のもとに走り、これからフェルゼン伯爵に返書を書くからと、給仕を免除してもらって、自分の部屋に戻った。
一番上等な便せんに、注意深く言葉を選びながら、丁寧に待ち合わせの日時と場所をしたため、晩餐が終わる頃を見計らって執事に返書を言付けた。
「どのようなやりとりかは詮索しないが、くれぐれもジャルジェの家名を汚さないようにするんだぞ」
ラケルはわざわざ言うまでもないがと断りつつ、アンドレに釘を刺し、将軍や夫人、さらにはオスカルにも知らせないよう念押しした。
いかに相手の希望とはいえ、使用人が外国人貴族と秘密裏に交流するというのは、公明正大な当家では受け入れがたい物で、フェルゼン伯爵という御仁は困ったお方だ、というのが執事の正直な感想であった。
お説まったくもってごもっともと深く相づちをうって執事室を出ると、今度はオスカルの部屋に回った。
もちろん厨房に寄ってショコラを用意することにぬかりはない。

扉をノックすると、入れという声がすぐに返ってきた。
「わたしもたった今戻ってきたところだ」
アンドレがテーブルにショコラを置くのと同時にオスカルはその前の椅子に座った。
「晩餐のあとになにか?」
「ああ、母上が何やかやとおっしゃるのでな」
「奥さまが?めずらしいな」
「そうか?結構母上は細かいぞ」
オスカルはカップをとって一口飲み、少しあらたまってアンドレを見た。
「次の休暇だが、母上が姉上のところを訪ねるのに同行するよう言われるのだ」
「どちらの?」
「カトリーヌ姉上だ」
ジャルジェ家の四女である。
ベルサイユ在住の貴族のもとに嫁いでいて、オスカルとの関係は、おそらく5人の姉たちのなかで一番良好だ。
「なるほど。いいんじゃないか?マリー・アンヌさまのところは気を張るし、ジョゼフィーヌさまなら、おまえは絶対お断りするだろう?」
アンドレは二人の姉上の顔を思い浮かべてクスリと笑った。
オスカルは苦い顔をしている。
ショコラは甘いはずだから、きっとアンドレの言葉が図星だったのだろう。

それから、これはひょっとして天の配剤ではないか、と思いついた。
奥さまとご一緒ならば、自分が付きそう必要は無い。
御者もお供も奥さま付きのものが努めるはずだ。
「実は、おれの方は、おばあちゃんに時計を修理に出すよう頼まれて、休暇の間にパリまで行くことになったんだ。おまえがカトリーヌさまのところに行くなら、ちょうどいい。その間におれは時計商まで行ってくるよ」
「ほう、時計の修理か。そんなもの、誰かに届けさせられないのか?」
「お屋敷の時計ではないんだ。個人的なものだから…」
アンドレは手短かにいきさつを説明した。
「そうか、直るといいな」
何も知らないオスカルの思いやりのある言葉に少しばかり後ろめたさを感じる。
だが、嘘はついていない。
黙っていることがあるだけだ。
「では、わたしは母上のお伴、おまえはばあやの使い、ということだな?」
「ああ、そうだ」
「わかった。それでいこう」
思いの外、すんなりと単独行動が認められた。
いつものアンドレなら、オスカルのものわかりの良さを少し疑ったかも知れないが、今日は自分の方に事情があるので、とくに詳細を訪ねることはしなかった。
やぶへびになっては元も子もないのだから。

実はそれがオスカルにも幸いしていた。
オスカルはオスカルで、アンドレと別行動するために必死だったのだ。
たまたま母が姉の所に行くという話をもちかけてきたので、なんとかアンドレを置いていければ、と思っていた。
アンドレがひとりで出かけるというなら好都合。
その間にフランソワの話を聞いてやれる。
アンドレがらみということだから、できるだけ早く聞きたい。
それが3日後なら上等だ。
オスカルは、カトリーヌ宅で適当に時間をつぶしたら、用事を思い出したと言ってひとりだけ隊に戻るつもりでいた。
そしてフランソワと合流する。
単独行動成立である。

オスカルとアンドレは、二人そろって内心忸怩たるものを抱えつつ、とりあえず希望がとおったことに安堵していた。

オスカルはこのショコラはことのほかうまい、とアンドレをおだて、アンドレもまたいつも以上に優しい笑みでオスカルを見守った。
それぞれの心の内に秘め事はしまいこまれた。
そしてそれを隠すために、今夜はショコラのように甘い夜になるだろう。







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