パリの中心部から少しはずれて、どちらかというとベルサイユよりのセーヌ川左岸から一本入ったところにAdemain.(アドゥマイン)という酒場はある。
夕方5時に勤務を終えると、衛兵隊のパリ留守部隊を出たアランとフランソワはA demain.目指して歩き始めた。
最近はベルサイユにいるより留守部隊に詰めることの方が多い。
大変だが、飲み歩くには都合が良いので輪番が回ってきても文句は言わない。
「いったい何の相談なんだよ?」
アランが顔を見ずに聞く。
「実はさ…。」
フランソワはポツポツと話し始めた。
これから惚れた女に告白するつもりであること。
絶対に振られること。
それで潔くあきらめるつもりであること。
ただ、一人では心細いのでアランに付き添ってもらい、できれば振られた後になぐさめてほしいこと。
アランは目を丸くした。
「ずいぶんかわいい相談だな」
まるで初な少年のようだ。
保護者付きの告白か。
「わかった。つきあってやるよ」
「ありがとう。相手は6時に店に来る約束なんだ」
さてどんな女が来るのか、ちょっと楽しみだな。
悪いと思いながらアランはニヤリと笑った。
一方オスカルは、大事な書類を本部に忘れてきたということにしてカトリーヌ宅を抜け出してきた。
定刻に店に入ると、落ち着いた雰囲気で、品揃えも豊富に見える。
安月給だと言っている割には,こんな店に来るのかとちょっといぶかしく思った。
「ここですよ~」という声のほうを見ると、フランソワだけでなくアランもいて、さらにいぶかしく思う。
二人して、アンドレのどんなことを言うつもりなのだろう。
とりあえず二人の前に座った。
フランソワが立ち上がって頭を下げた。
「本当に来てくれたんですね、ありがとうございます」
自分から呼んでおいてそれはないだろうと思うが、それは言わない。
「待たせたか?」
「全然!今来たところです」
椅子をガタガタと言わせながらフランソワは座り直した。
「そうか。それはよかった」
「とりあえず酒を3杯頼んでおきました」
言うのと同時にテーブルにグラスが3つ置かれた。
慌ててきたので喉が渇いていたオスカルはゴクリと一口飲んだ。
なかなかいける。
そこで初めてアランが驚愕の様相であることに気づいた。
どうやらオスカルが来るとは思っていなかったようだ。
何も言わないのは、驚いて声が出ないということらしい。
いったいどういうことだろう。
オスカルはフランソワに、話を促した。
フランソワは美しい蒼い瞳を正面から見つめた。
「ここに、一人の男性がいます」
いや、アランとフランソワの二人だろう。
オスカルは鋭くつっこみそうになるのをとりあえずこらえた。
「彼は隊長に惚れています」
オスカルとアランが同時に目を見開いた。
誰のことだ?
名前を言わなければわからんだろう?
二人の疑問に答えるかのようにフランソワは続けた。
「仮に男の名前をAとしましょう」
ああそうか、とオスカルとアランはそろってうなずいた。
オスカルはアンドレだと思ったのだ。
今夜の話はアンドレのことだと聞いていたから。
アンドレ(André )の頭文字はAだ。
アランはフランソワ・アルマンだと思ったのだ。
今日女に告白すると言われたのだから。
アルマン(Armand )の頭文字はAだ。
フランソワは当然アランのつもりだった。
アランに失恋させるためにこの場を設定したのだから。
アラン(Alain)の頭文字はAだ。
「Aはおそらく隊長がほかの男と結婚などしたら生きていけないほど隊長に惚れています」
オスカルはもう一度うなずいた。
よく似たセリフを以前自分もジェローデルに言ったことがある。
そのとおりだ。
アンドレはわたしを愛している。
それにしてもアンドレの自分への恋慕がフランソワの目にも明らかなほどなのか、とオスカルはくすぐったく感じた。
悪い気はしない。
だが帰ったらアンドレに、隊士の前ではあからさまな態度は慎むように言ってやろう。
さてあいつはどんな顔をするだろう。
アランもうなずいた。
フランソワが隊長に本気で惚れていたとは知らなかった。
そこまで思い詰めてたのか。
本人を目の前に、しかも親友に立ち会わせて、ここまで堂々と告白できるとは大した奴だ。
なかなかできることではない。
自分なら絶対無理だ。
だが、一世一代の告白をするから立ち会ってくれと言われ、わかったと答えたのだ。
最後まで立ち会ってやろう。
そして約束通りあとでしっかりとなぐさめてやろう。
フランソワはよし、とうなずいた。
アランの身代わりで告白しはじめたが、とりあえず隊長もアランも黙っておとなしく聞いてくれている。
深くうなずいてさえいる。
大丈夫、このまま告白を続けよう。
きっとうまくいく。
「でも、つりあいが全然とれません。絶対にかなわない恋なんです。それはAにもわかってるんです」
オスカルは返事に困った。
つりあいなど自分たちが決めることだ。
わたしたちは神の前で誓い合った。
それはアンドレだってわかっている。
余計なお世話だ、フランソワ。
オスカルはトンチンカンな部下の発言に戸惑いを隠せない。
アランは哀れに思った。
あたりまえだが隊長がフランソワの思いをかなえることは断じてない。
あきらめるしかないのだ。
それは、実は自分だって同じ事なのだが。
そう思うと切なくて、とても居心地が悪かった。
その沈黙に、フランソワは二人が静かに聞いていると思いこみ、勢いづいて続けた。
「だから、隊長!お願いです!今、ここで言ってください!!」
フランソワのいつもらしからぬ大声にオスカルは気圧された。
「な、何をだ?」
「おまえの気持ちはありがたいが、あきらめてくれと!」
アンドレにあきらめてもらうのか?
馬鹿な…。
オスカルは言うべき言葉が見つからない。
アンドレはあきらめる必要などまったくないのに。
というかあきらめてなどいないのに。
それにどうしてここでそれをフランソワとアランに言わなければならないのだ?
「でないとあきらめきれないんです!」
フランソワは決め台詞とばかりに叫んだ。
真剣な顔だ。
剣の訓練でもこんなまじめな顔は見せたことがない。
本気なんだな、こいつ…。
アランは同情した。
そんなに思い詰めてたのか。
報われぬ思いにそんなに…。
アランは同病相憐れむ気持ちが抑えがたくなった。
だから今夜初めて口を開いた。
「隊長、言ってやってください」
こいつの失恋を手伝ってやろう。
ありがた迷惑なことも多いが、決して悪い奴ではない。
いや、むしろ底抜けにいい奴なんだ。
自分ができることをしてやろう。
きっとこいつはそのために、今日、俺の同席を求めたんだろうから。
「あきらめろって言ってやってください!」
アランはフランソワの為に真剣なまなざしでオスカルを見た。
フランソワは心中万歳を叫んだ。
そうだよ、アラン!
告白して見事に振られればいいんだ。
俺たちはまだ若い。
これからいくらだって釣り合いのとれた女が見つかるさ。
自分で言えてよかったね!
フランソワは立ち上がってテーブルに両手をつき頭を下げた。
親友のためだ。
いくらだって頭くらい下げてやる。
「お願いします!」
アランも同じように立ち上がって頭を下げた。
「お願いします!」
お互いがお互いの為に頭を下げていた。
そろって並ぶ眼前の頭にオスカルは言葉を失った。
どうしてここで言わねばならないのか。
あきらめろとアンドレに言うつもりは絶対にないが、もし百歩譲って言わなければならないとしたら、本人に直接言う。
フランソワを通して言う必要はない。
黙ってしまったオスカルにフランソワは開き直ってたたみかけた。
「言ってくれないんですか?じゃあ、隊長はAにほれてるんですか?Aがあきらめなくてもいいんですか?」
今度こそオスカルは沈黙した。
なぜここでそれを言わねばならない?
毎夜、本人に言っているではないか。
あいつもそれを心から喜んで受け入れてくれている。
それは自分たち二人がわかっていればいいことだ。
部下とは言え、他人に言われる筋合いはない。
オスカルはようやく自分を取り戻した。
「フランソワ…。ひとつ聞きたい」
いつもの隊長の声だった。
冷静で沈着で、何もかもを見通したような威厳のある声。
今度はフランソワが驚いて目を見開いた。
「な、なんですか?」
「おまえ、それをAに頼まれたのか?」
「えっ?」
「Aがおまえに頼んだのか?」
アンドレがフランソワにそんなことを頼むはずがないのだ。
オスカルの鋭い視線にフランソワは首を横に振った。
頼まれたわけではない。
アランのために独断で身代わりで告白しているのだ。
それを見て、今度はアランがびっくりした。
こんなに勇気を振り絞って言ったやつに、その勘違いはないだろう。
あんまりだ。
いくら男の格好をしていても、やはり隊長には男の心はわからないのか。
「隊長、男心をわかってやってください。Aっていうのはフランソワのことじゃないですか?フランソワ・アルマンのAですよ。正面きっ言えないから、こんな持って回った言い方してるだけなんだ。わかってやってくれよ!」
アランは親友のために精一杯代弁してやった。
「えー!?」
オスカルとフランソワが同時に声を上げた。
「違うよ!アランのことだよ!!」
即座にフランソワが訂正した。
「えーっ!!?」
今度はオスカルとアランが同時に声を上げた。
「どっちなんだ?」
オスカルが問責した。
「フランソワ」「アラン」という答えが入り交じり錯綜した。
だがどうやら互いに互いの名前を言ってることをオスカルは理解した。
「つまり、フランソワはアランのつもりで言っていたのだな?そしてアランはフランソワのつもりで聞いていたのだな?」
わたしはアンドレのつもりで聞いていたのだが、という言葉は言わない。
最後の審判の席で、最後の尋問をされているようだった。
二人はコクリとうなずいた。
それからアランがフランソワに殴りかかった。
一瞬のことだった。
「てめぇ~!!よくもこんな茶番につきあわせやがって!!」
一方的に殴られながらフランソワは言葉で抵抗した。
「だって最近のアランって見てられなかったからさぁ、ちょっと助けてやろうと思ったんだよ。ちゃんと振られたら前むけるだろう?俺たち親友だからさあ…」
「なにが親友だ?てめえなんぞ友達でもなんでもないぞ!馬っ鹿野郎!!」
「アラン!やめないか!人目があるんだぞ!!」
オスカルが一喝した。
周囲を見回すと、衆目の関心を集めてしまっている。
二人はあわてて座り直した。
「要するにフランソワの勝手な思いこみだったんだな?」
「思いこみじゃないよ。アランは絶対隊長に惚れてるよ!」
フランソワが言い終わる前にアランのパンチがフランソワの頬にとんだ。
「勝手なことをぬかすな!!」
フランソワが椅子からずり落ちかけた。
「フランソワ、たとえおまえの目にどう映ろうと、当のアランが違うと言っているのだ。今夜はおまえの早とちりということだ。ちゃんとアランに謝罪しろ」
オスカルは裁きを下した。
アランの気持ちが本当のところどうだか、それは知らない。
そういう対象として考えたことはないし、今後考える気もない。
とりあえずAがアンドレではなかったのだから、オスカルとしてはそれでいい。
あやうく自分こそが部下の前でアンドレへの思いを告白させられるところだった。
まったく、アランの言うとおりとんだ茶番だ。
だいたい頭文字など使うからややこしくなるのだ。
「そうだ、謝れ!そして取り消せ!!」
アランもこぞとばかりに怒鳴り立てる。
「さあ、フランソワ。男だろう?潔く頭を下げろ。さっきみたいにな。そうすればここまでの話はすべてなかったことにしてやる」
オスカルのとりなしにフランソワはようやく観念した。
絶対に早とちりではないのに。
せっかくチャンスをつくってやったのに。
アランの馬鹿。
だが、仕方がない。
アランは隊長から見えないように軍靴でフランソワの足を全力で踏み続けていて、そろそろ我慢の限界がきていた。
「悪かった。許してくれ」
頭を下げたフランソワを見て、アランはようやく足をどけた。
心の中は怒りで煮えたぎっていたが、実は図星の告白だったのだからつらいところだ。
自分が隊長に惚れているという話題から一刻も早く離れたかった。
万が一本当に面と向かってあきらめろと言われたら、明日から出勤できる自信がない。
隊長が聞かなかったことにすると言っているのなら、それで結構。
この話は終わりだ。
アランはポカリとフランソワほ小突くと、二度と馬鹿なことをするなと言い渡した。
「よし、それでいい。さあ、飲み直しだ。好きなだけ注文していいぞ」
オスカルは明るく笑ってウエイターを呼んだ。
その笑顔があまりに屈託なく、二人は思わず顔がほころんだ。
思えば、アンドレなしの、隊長と自分たちだけの飲み会である。
もう二度とこんな時間はないかもしれない。
楽しまなければ損だ。
二人は思いつく限りの酒とつまみを注文した。
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