「では仕切り直しだ」
オスカルは書類をテーブルに広げた。
衛兵隊の勤務表である。
「そっちのは?」
ジェローデルが近衛隊の勤務表を隣に並べた。
顔をつきあわせてしばらく2枚を眺める。
「一番早く取れるのは…」
「最短なら明日ですが、これはちょっと無理でしょう。周知期間はいつもどれくらいですか?」
「一週間くらいだったような…」
少し記憶が危うい。
「どういう方法で?」
「うん?通達だったかな…、いや、掲示板か…」
「掲示板だとすると、それを見た兵士がおのおの家族に連絡をとるのですか?」
「…」
ジェローデルに詰められて、オスカルは完全に黙り込んだ。
もともとこういうことはダグー大佐の担当で、アンドレが大佐から聞いてオスカルに伝えている。
「とりあえず明日の次に日程があうのは、来週始めですが、これで行きましょうか?」
「いや、それで無理だとなったら、そちらに迷惑をかけることになる。念のため二週間後で取ろう」
そう言ってから、部下達の顔が浮かんだ。
一日も早い面会日を望んでやいやい騒いでいた。
二週間後だと遅いだろうか。
アンドレに聞かなければ…と思ってから気づいた。
彼は部屋の外だ。
よりによってこういう時に、どうして外にいるんだ?
自分が単独行動したせいだとは思わない。
「承知しました。では二週間後の月曜日ということでよろしいですね?」
ジェローデルが確認した。
「いや、ちょっと待ってくれ」
オスカルは立ち上がると、スタスタと部屋を出た。
「どちらへ?」
ジェローデルの問いかけには答えない。
「アンドレ!アンドレ!」
廊下をずんずんと進む。
詰め所受付で事務官と立ち話をしていたアンドレが驚いて近づいてきた。
「面会日の発表は何日前だ?」
「通常10日前だが…。急に決まった場合は一週間という時もある」
「そうか。では今日発表すれば、来週明けなら大丈夫か?」
「そうだな…。少し慌ただしいが、遅れるよりは良いと思う」
簡潔にアンドレは答える。
それが聞きたかったのだ。

オスカルはまたもやアンドレを置いて、ジェローデルの待つ部屋に引き返した。
「やはり一週間後にしてほしい」
何事もなかったように結論を告げた。
「わかりました。では一週間後の月曜日。午前中だけでよろしいですね?」
ジェローデルも淡々と話を進めた。
たった今の空白の時間は、彼にとってもなかったことにしている。
というか、なかったことにしたいのだ。
「そうだ。午後からは通常の体制に戻す」
オスカルは、手元の書類に変更点を書き込もうとして、ペンがないことに気づいた。
「どうぞお使い下さい」
ジェローデルが自分の羽ペンを差し出した。
「ああ、メルシー」
当然のように受け取ってオスカルはペンを走らせた。
そしてペン先が書類にひっかかり、インクがポタリと落ちて紙ににじみができた。
慣れないペンは使うものではない。
この部屋は慣れた部屋のはずだったが。
部屋の主が替わり、当然備品も替わり、文字すらまともに書けなくなっている。
長居は無用だ。
オスカルは丁重にジェローデルに感謝を述べ、今度こそ本当に近衛隊を出た。
ジェローデルはもう見送りに出てこなかった。

廊下で待っていたアンドレがさりげなく背後に付き従った。
そのまま前後に並んで歩き続けた。
「どうしてついて来なかったんだ?」
宮殿の前庭まで出てオスカルはアンドレを振り返った。
とてもついて行ける状況ではなかったのだが、ついて行ってよかったのか?
アンドレは言葉が見つからないままオスカルの隣に並んだ。
「結局、時間が倍かかる」
「そうだな…」
「おまえがいれば、あんなに何度も出たり入ったりしなくてよかったんだ」
「たしかに。都合三回出入りしたことになるな…」
「わたしのおともは嫌なのか?」
「まさか…!」
「せっかく書類を届けに来たくせに、入ってこなかったじゃないか」
「いや、おまえが目の前で扉をしめたんだろうが…」
さすがにアンドレが少しだけ反論した。
ジェローデルが室内に入り、そのあとオスカルが続き、目の前で扉は閉められた。
おそらくオスカルが閉めたのだ。
「おまえが付いてこないから仕方なく閉めただけだ!」
「そうだったのか?」
まったく嘘である。
「閉まる前に、なぜ入ってこない?」
こうなると無茶苦茶である。

「オスカル、何かほかのことで怒っているんじゃないか?」
アンドレが柔らかい声で聞いた。
「どういう意味だ?」
「俺が部屋に入らなかったことを怒っているのではなく、もともと何かに怒っていて、それが解決しないから、何もかもに怒りがわいているんじゃないか?」
図星だ。
それだけにくやしい。
「わたしが一体何に怒っているというのだ?」
「それがわかれば苦労はないんだけどね」
アンドレは困ったように微笑んだ。
「いい加減だな」
「そうか?いい線行ってると思ったんだけどな」
「そう思うなら、わたしの怒りの原因を挙げてみろ」
先程ジェローデルに詰められた仕返しをアンドレ相手にしているようだ。

アンドレは少し口ごもり、やがて思い切ったように言った。
「べったり俺と一緒にいるのがうっとうしくなった…かな?」
オスカルが立ち止まって大きく目を見開いた。
「当たりか?」
アンドレが不安そうにオスカルを見た。
「誰が誰をうっとうしいと?」
「俺がいつもおまえのそばにいることが、おまえにとってはうっとうしい…」
「おまえではなくて…?わたしが?」
「ずっとそばにいるからな…。俺にとっては、本当に幸せだが、おまえにはわずらわしいときもあるかもしれない。今もひとりで近衛に行きたかったのに、俺が追いかけてしまった」
伏し目がちのアンドレの黒い瞳に不安が見える。
控えめではじけない、昔ながらのアンドレだ。
「おまえは馬鹿か?」
オスカルはあきれ果てたように聞いた。
「えっ?」
「どうしようもないな」

オスカルの中のモヤモヤとしたものが、嘘のように消えた。
アンドレは何も変わってはいない。
激情と臆病が一体になって、それでもオスカルのそばにいるために、全身全霊で尽くしてくれている。
色男のワザなど関係なかったのだ。
考えてみれば当然だ。
アンドレはオスカルの半分、心臓の半分なのだから。
オスカルは意気揚々と大股で歩き始めた。
アンドレはあわてて後を追う。
フランス棟に入り、階段にさしかかったところで、オスカルは再びアンドレを振り返った。
「アンドレ、戻ったらショコラを入れてくれ」
「ショコラ?」
「ああ、そうだ。とにかく今はショコラが飲みたいのだ。とびきりうまいのを頼む」
アンドレはやれやれとため息をついた。
なんだかよくわからないが、オスカルは別に自分を疎ましく思っているわけではないらしい。
ジェローデルと二人だけになりたかったわけでもないようだ。
衛兵隊の司令官室に戻り、アンドレはすぐにショコラを用意した。
おばあちゃん譲りの濃厚だがしつこくない味である。
ただ、祖母直伝のショコラを、アンドレは少しぬるめに作る。
冷めたショコラほどまずいものはない、とマロンは言うが、オスカルはあまり熱いものは好まない。
忙しいときでもすぐに飲めるよう、ちょっと冷ましてから出すのが習慣だ。
案の定、オスカルは満足そうに飲んでいる。
アンドレも自分のカップに口を付けた。
「そう言えば…」
ふと思い出したようにオスカルが言った。
「ジェローデルが、おまえのショコラがぬるいことを知っていたぞ。運んでいたショコラの湯気が少なかったそうだ。大した観察眼だな…」
「ゲホ!!」
アンドレが思い切りむせた。
「アンドレ!」
オスカルはあわててカップを置いて駆け寄った。
「大丈夫か?」
「ゴホ!ああ、すまない…。なんでも、ゴホゴホ…ないんだ…」
オスカルがアンドレの背中をさすった。
「そんなに熱くもないのに、どうしたんだ?」
アンドレは咳き込みながら、しばらくされるがままにしていたが、突然オスカルの手をぐいとつかみ、抱きすくめた。
「ア、アンドレ…?」
「動くな!」
「…?」
「しばらく動かないでくれ」
「ショコラが冷める」
「たのむから…」
オスカルはショコラをあきらめた。
本当に激情と臆病が一緒になっている。
だが、確かにショコラよりいい。
もちろん近衛隊の紅茶よりも…。
オスカルは静かに目を閉じた。
司令官室だから、長くはできないが、ほんのひととき激情に身をゆだねるのもいいかもしれない。

「冷たいショコラなんて、犬でも飲みませんでございますよ」
マロンの口癖だ。
それが本当かどうか、オスカルもアンドレも試してみたことはない。
だが、もし本当なら、今、司令官室には犬の食わない代物が二つもあるということだ。
冷めたショコラと、そして…。



                                               おわり


※こちらはは第一部の「親子」と「助言」の間の挿話です。







          

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犬も食わない

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