三部会の開会が直前に迫っていた。
開会式前日にはベルサイユのサン・ルイ教会で議員によるミサが予定されていて、そこへ向かう行列を一目見ようという人が宿という宿にあふれ、親類縁者のいるものはわずかなつながりをを頼って上京し、にわかにベルサイユ近郊の人口が増大していた。
それは庶民に留まらず貴族においても同様で、日頃領地暮らしをしている地方貴族も四月半ばから縁戚の屋敷に滞在し、晴れの日の行列を心待ちにしていた。
ル・ルー一家などもまたその典型である。
ル・ルーの父、ローランシー伯爵の兄であるクラヴィール伯爵が第二身分の議員になったので、その縁でわざわざベルサイユまで見物に出てきているのだ。
一家そろって好奇心が強いらしい。

「ねえ、お母さま、わたしたちはどこから行列を見物するの?」
ル・ルーが母に聞いた。
「あら、このお屋敷の窓からよ。行列はちょうどこちらのお屋敷の下を通るそうなの」
オルタンスは扇を揺らしながら答えた。
「そうなの。じゃあ、外には出られないのね」
「もちろんよ。もう場所取りの人であふれて、とても屋敷の周りを歩けたものじゃない、と皆がこぼしていたわ」
ル・ルーが窓際に走り、手近な椅子に登って外を見ると、確かに人が大勢集まっていて、そこここでいさかいも起こっているようだった。
「ジャルジェのおばあさまが今夜からこちらにいらっしゃって、ご一緒に見物されますよ」
「へえ…。おじいさまは?」
「おじいさまは式典に参列なさるのですから、こんなところでのんびりご見物というわけにいきませんよ」
そうだった。
叔母が武官であることは軍服姿の映像として脳内にすり込まれているが、祖父も武官であるということはついつい忘れてしまう。
大体祖父の騎乗姿などル・ルーは見たこともないのだ。
「でも、まさかおじいさまは行列の警護なんてなさらないのでしょう?」
「当然です。おじいさまは近衛の将軍ですもの。常に国王陛下のおそばにいらっしゃるのがお仕事です」
サン・ルイ教会までの沿道の警備に当たるのはフランス第一連隊所属のフランス衛兵隊とスイス人近衛連隊となっていた。
つまりオスカルの率いる部隊である。

「オスカルおねえちゃまはどうして近衛から衛兵隊に移ったのかしら…?」
「さあ、どうしてかしらね。昔、王妃さまが初めてパリをご訪問になったときは、お馬車の先導という晴れのお役目を頂戴したほどだったのですけれどね。あのときのあの子はわが妹ながらほれぼれするようないでたちだったわ。それが今度は沿道警備ですものねえ。いった何があったのかしら…」
口調は心配そうだが、実は全然興味がない様子の母に、ル・ルーはこれ以上の詮索を断念した。

ジョゼフィーヌの邸宅からはきっちり三日で帰宅した。
従兄弟たちは優しく、叔母ともなぜか馬が合い、楽しい日々だった。
ジャルジェ家に叔母一家と乗り込む作戦は、カトリーヌの登場でご破算になってしまったが、これはいたしかたなかったと納得している。
オスカルが随分厳しい環境で仕事をしているらしいとル・ルーにも推察されたからである。
だが、以前自分が来たときは近衛隊で連隊長職にあり、それほど激務のようには見えなかった。
仕事熱心ゆえ、忙しそうにはしていたが、今のように体調に異変が起きるほどではなかった。
いつのまに転職したのだろう
そしてその理由は…。

疑問が起きるととことん考え解明しなければ気が済まないル・ルーは、今夜訪ねてくる祖母に狙いをしぼった。
実はル・ルーは密かに自分は祖母似だと自負している。
親族一同だれも賛成してはくれないだろうし、祖母自身勘弁してほしいと思うだろうけれど…。
だが、ものを見る視点、把握する能力、実行にうつす行動力、どれもが母ではなく祖母と共通していると思えてならない。
ル・ルーの中では、貴婦人のたしなみとか、品のある微笑みとか、優雅な立ち居振る舞いという観点は完全に抜け落ちているのだが、10歳にもならない少女にそれを求めるのは酷というものだ。



                   



ジャルジェ伯爵夫人は娘の縁戚のクラヴィール伯爵家にわずかな供回りを連れて、日が落ちてからひっそりとやってきた。
仰々しいことが嫌いな夫人の性格と、安全面を考慮しての時間と人員配置だとの使者の説明に、クラヴィール家もなるほど、と感じ入り、さすが将軍夫人というのは奥ゆかしくかつ慎重であられる、と感心しながら到着を待っていた。
車寄せに馬車が着いたとの知らせに、クラヴィール伯爵夫妻とローランシー伯爵夫妻がホールへ向かうと、静かに扉が開き、4人の人影が現れた。
「まあ!オスカル…!」
ローランシー伯爵夫人すなわちオルタンスが驚いて声を上げた。

ジャルジェ伯爵夫人を囲みいかにも警護する、といういでたちの軍人はオスカルであり、同様に軍服姿のアンドレがその二人をさらに保護するように後方に立ち、それらの人々の影になってほとんど見えないながらマロン・グラッセがいた。
クラヴィール伯爵と夫人は豪華な登場人物に感嘆しつつ、歓迎の辞を述べ、ジャルジェ夫人も、世話をかける旨を丁重に謝した。
人であふれたベルサイユの夜の闇の中、母上をひとりで行かせられない、今夜は自分が伴をする、と言い張ったであろうオスカルは、そのような素振りは毛頭見せず、クラヴィール伯爵に議員就任の祝辞をのべ、かつ母が世話になることへの感謝を伝えた。
オスカルが行くならば同行せざるを得ないアンドレはともかく、お母さまのお世話に高齢のマロンがなぜ?という顔のオルタンスに、ジャルジェ夫人は、
「冥土へのみやげにぜひ行列を見たいと言うものですから…」
と笑った。
何と言ってもオスカルの指揮官ぶりが生で見られ、しかもフランスの世紀の祭典の幕開けに立ち会えるのだ。
ジャルシェ家の使用人たちの中でさぞ熾烈な人選がなされ、ほぼ強引に年功序列で決定されたのであろう。
「アンドレ、ぼやぼやしないでお荷物を持っておいで」
マロンはてきぱきとアンドレに命じて夫人の荷物を運ばせ、人選に間違いのないことを証明しようと働き出した。


「いよいよ明後日でございますな、クラヴィール伯爵」
オスカルは広い客間に用意されたお茶を手に取り言った。
母を送り届けたら、すぐに帰宅するはずだったオスカルとアンドレは、千載一遇のこの機会を逃せば一生後悔する、というクラヴィール夫人の申し出を断り切れず、酒は断り、お茶だけ頂くということで折り合った。
「ええ。いよいよです。こうしてゆっくりお茶を飲むのもしばらくないかもしれませんな」
「まったく同感です」
「だとすれば、この貴重なお茶にあなたと同席できたことを、わたしは弟に感謝せねばなりません」
クラヴィール伯爵は白髪の方が増えてしまった頭を揺すりながら笑った。
「おやおや、それはどういう意味ですかな、兄上?」
「おまえがオルタンス殿と結婚したことで、わたしもジャルジェ家と縁戚になり、このように将軍夫人や准将を自邸にお迎えできたのだからな」
「まあ、お義兄さま。お義兄さまがオスカルのことをそのようにおっしゃってくださるなんて、光栄ですわ」
オルタンスが嬉しそうに言った。
「いいえ、光栄なのは当家のほうですよ、オルタンスさま」
さらに嬉しそうな声でクラヴィール夫人が笑った。
「一番近い舞踏会はいつだったかしら…?オスカルさまと差し向かいでお茶を頂いたとベルサイユ中の奥さまがたに触れ回らなくては…」
クラヴィール夫人の嬌声を聞きながら、そろそろ潮時だと判断したジャルジェ夫人が、
「オスカル、送ってくれてありがとう。あまり遅くなると明日の任務に障りましょう。そろそろ失礼なさいな」
と助け船を出してくれた。
オスカルとアンドレは、自分たちに構わずお茶をお楽しみください、と告げ、二人で部屋を出た。

「やれやれ。しばらく忘れていた視線だったな」
廊下を歩きながらアンドレがため息まじりにつぶやいた。
「ああ。宮廷ではしょっちゅうだったが、衛兵隊に移ってからは縁がなかったからな」
オスカルが苦笑いをしてホールの階段の下まで来たとき、突然うずくまっていたものが立ち上がった。
貴族の邸宅ゆえ、廊下に明かりがないわけではないが、煌々とシャンデリアに灯がともされているわけではない。
薄暗がりから突如現れた物体にさすがのオスカルも後ずさりした。
「どうして変わったの?」
物体が音声を発した。
「なんだと?」
「どうして近衛から衛兵隊に変わったの?」
「ル・ルー!!」
オスカルとアンドレは息もぴったりに叫んだ。
「こんなところでなにをしている?」
ル・ルーはドレスのおしりをパンパンと払いながら言った。
「質問はわたしが先にしたんだけれど…」
「おまえの質問に答える義務はない。それよりわたしの質問に答えろ!」
「本当に勝手な言い分よね。まあいいわ、アンドレに聞くから…」
ル・ルーはくるりとアンドレに向き直り、
「ねえ、オスカルお姉ちゃまはどうして衛兵隊に変わったの?あなたなら知ってるでしょう?」
と無邪気に尋ねた。

ここで祖母を待ち伏せし、こっそりとあとをつけて祖母の部屋に滑り込み、昔話などせがみながら目的の話題に近づける心づもりだったが、なんという幸運!
当の本人がわざわざやってきてくれたのだ。
鴨が葱を背負ってくる、いやちょっとちがう、飛んで火に入る夏の虫、いやこれも季節があわない。
まあ、どちらでもいい。
春の虫でもかまいやしない。
こんな機会を逃す馬鹿はない。
ル・ルーの照準は決まった。
そして心臓めがけて見事な一発目を放った。

オスカルは顔を真っ赤にすると、
「だまれ!わたしのことを何でアンドレに聞くのだ?」
と怒鳴った。
「あら、だってお母さまもジョゼフィーヌ叔母さまも、オスカルにものを言いたいときはアンドレに言わなくっちゃっていつもおっしゃってるわ。ねえ、アンドレ」
今度はアンドレが真っ赤になった。
ジョゼフィーヌがアンドレに手紙を書いたとき、ル・ルーは同席していたのだから、いきさつは承知しているわけで、白々しく嘘をつくのはさすがに苦しい。
「近衛はおじいさまもいらっしゃるし、王さまや王妃さまのおそばでお守りするわけでしょう?忙しいっていったって、今みたいなことはなかったんじゃないかしら。なのに、ねえ。おねえちゃま、ひょっとして失恋でもしたの?」

二発目が放たれた。

「…!!!」
オスカルは絶句した。
いや、絶句するよりなかった。
開いた口がふさがらない。
二の句が継げない。
ほかにどんな言葉があっただろう…などと支離滅裂なことが脳内を爆走していく。

このこまっしゃくれた娘はいったい何ものだ?
どんな権利があってわたしの過去を暴くのだ?

オスカルはとっさにアンドレの顔を見た。
彼もまた、びっくり眼をぱちくりさせている。
黒い騎士を捕縛しそこねたからだ、という表向きの理由を彼が信じてくれたかどうか、考えたこともなかった。
ベルナールに言われた「王宮の飾り人形」「王妃の犬」という言葉が大きなきっかけだったが、フェルゼンとの決別が心の奥底のわずかな理由としてなかったか?と問われれば確信はない。
だが、すでに過去のことだ。
こんなところでこんな娘に詰問されることか?

「オスカルは外に出でたかったんだよ、ル・ルー」
アンドレが静かに言った。
「外に?」
「近衛は確かに王妃さまのおそばにお仕えする大切な仕事だが、宮廷の中にいることが多い。時折王妃さまがお庭に出られるときくらいしか、外には行かない」
「そういうものなの?」
「ああ。だけど衛兵隊はベルサイユ宮殿の警護をする部隊だ。宮殿の外にいて外からの敵に備える仕事なんだ。時にはパリの部隊にも出かける。どっちがオスカルに向いていると思う?」
アンドレは少し膝をかがめ、ル・ルーの答えを待った。
「確かに、室内の仕事じゃ力が余っちゃいそうね」
「ご明察!だから変わったんだよ」
「そんなに単純だったの?」
「オスカルが複雑に考えたと思うかい?」
「…、全然!」

アンドレ!それはないだろう、それは…!
オスカルはあやうく声を出しそうになったが、さきほどのショックで失われた声はそう簡単に復活せず、口をパクパクするだけに終わった。
近衛でも王妃さまのお供で外には何度も出た。
パリのオペラ座など何回通ったか数え切れない。
口から出任せもいいところだ。
だがアンドレはニコニコと笑って続けた。
「さあ、もうすぐおかあさまが客間から出てらっしゃる。見つかるとまずいだろ?」
「あら、もうそんな時間?大変!」
ル・ルーはバタバタと階段を駆け上がっていった。
そして踊り場まで行くとくるりと振り返り叫んだ。
「おやすみなさい。おねえちゃま!お仕事がんばってね。おやすみなさい、アンドレ。あなたに免じてあなたのかわいいおとぎ話を信じてあげるわ!あながち超単純なところが的外れでもないようだし…!」
そして二度と振り返らず、ル・ルーは二階の廊下に消えていった。

オスカルとアンドレは同時にがっくりとうなだれた。
そしてどちらともなく言った。
「疲れた…」
「帰ろう…」
そのとき客間の扉があき、目ざといクラヴィール夫人の視界に入りかけた二人は大急ぎで外に出て、車寄せに止めたままにしていた馬車に飛び乗った。
「ジャン!すぐに出してくれ!」
オスカルの声に、厨房で接待を受けていたジャンが裏口から飛び出してきて、御者台に乗り、
「ゆっくりなすってたくせに、帰るとなったらせかされるんだから…!」
とぼやきながら馬車を出した。
「ちぇっ!まだ夏には早いってのに、虫がまとわりついてくる。大急ぎで退散だ!」
ジャンは思い切り馬に鞭を打ち、速度を上げさせた。
それは車中の二人にも大歓迎の判断だった。
ジャルジェ家の馬車は逃げるようにクラヴィール邸を出た。
門扉までジャンにたかっていた虫の群れはなわばりの外へ敵を追い出したことに満足し、屋敷の方に戻っていった。
「やれやれ」
という言葉が、オスカルとアンドレとジャンの三人から同時に発された。


いよいよ明後日、三部会開会である。


 
                   帰路の車中はこちらからどうぞ。




 
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