三部会は五月に始まる。
全国から集まる議員のために、ベルサイユもパリもはっきりいっててんやわんやである。
聖職者代表291人、貴族代表270人、第三身分(平民)代表578人。
1000人を越える人間が集結するのだ。
このうち元々パリ近郊に在住の者以外は、すべて地元から出てくるわけで、その宿舎、移動手段、食料など諸々の問題が発生するのは自然の成り行きではあった。
それに加えて、国家を代表する立場である彼らの身の安全を保証する必要があった。
物騒な世情ゆえ、何が起こるか、あるいは誰が襲い、誰が襲われるか。
それを前もって想定できる人間などいるはずもなく、ということで彼らの警護は、必然的に軍隊が受け持つこととなった。
その任務は、地方警備の隊をのぞき、現在ベルサイユにいる部隊が主力になるため、国王側近の近衛隊と、宮殿警護の衛兵隊ベルサイユ駐屯部隊が否応なく大半を担う。
とはいえ、ほかに外国人部隊も加わり、陸軍も参加する。
各隊の調整はなかなか難しいのだ。

オスカルが携えている書類は、諸隊にまたがるその煩雑な業務を、効率よく行う為の提言である。
衛兵隊の責任者として常日頃から考えてきたことをまとめた。
これを上層部に取り上げてもらえれば、かなり任務が遂行しやすくなるはずだった。
そこで、上層部に出す前に近衛隊とすりあわせをして、両隊からの提言という形をとるために近衛隊にいくのである。
書類を届けるなど、本来なら部下の仕事だ。
だが、行きがかり上、自分で持っていくはめになってしまった。
この非常時に何をやっているのか、我ながら情けなくもある。

宮殿の中でも、国王の起居する区域のかなり近いところに近衛の詰め所はある。
オスカルにとっては古巣である。
12才からずっと所属していた。
特に失態があったわけではなく、上司ともめたわけでもなく、自分の決断だけで退任した。
ベルナールに言われた言葉が大きなきっかけだった。
王宮の犬、王宮の飾り人形。
強烈だった。
使命感に燃えて任官し刻苦精励してきたのに、犬だの人形だの言われて大概腹もっ立った。
だが完全に否定し得ない自分が、さらに衝撃だった。
フェルゼンとのこともあり、引き留める王妃や部下を振り切って転任した。
後悔はない。
だが、今こうして久しぶりに近衛の詰め所に来ると、感慨深いものがあるのは否定できなかった。

近衛隊の事務官は、当然ジャルジェ准将の顔を見知っていた。
もとよりこの人を一度見たら忘れるほうが難しい。
いきなり現れた元上司に、上に取り次げ、と言われた事務官はあたふたと司令官室に駆け込んでいった。
確かに事務官でも美形だ。
やはり飾り人形か。
いや、一人一人には、それぞれの人生がある。
一概にくくるのは僭越だ。
「連隊長がお目にかかります。こちらへどうぞ!」
少し息を弾ませて事務官が戻ってきた。
長年執務した部屋である。
わざわざ案内など不要と思ったが、軍隊は縦社会、秩序の権化のような場所である。
事務官の顔をたててやろうと思い直して、黙って後に続いた。

近衛連隊長の執務室ではジェローデルが立ち上がって迎え入れてくれた。
「これはこれは…、おんみずからのお越しとは、またいったい…?」
肘掛け椅子をすすめながらオスカルの顔色をうかがったジェローデルは、いきなり質問を変えた。
「かの従者が不幸せなのですか?」
突拍子もない質問にオスカルが大きく目を見開いた。
近衛の司令官が衛兵隊の司令官に尋ねるにしては、あまりに内容がそぐわない。
案内してきた事務官もびっくりしている。
この常識的でスマートな連隊長の言葉とは思えないらしい。

「何か飲み物を用意して来るように」
ジェローデルはさりげなく部下を人払いした。
「どういう意味だ?」
2人だけになってからオスカルは椅子に座り聞き返した。
「いえ、他意はありません。あまりよろしくないお顔の色でしたので…」
「わたしの顔色が悪いと、どうしてあいつが不幸せということになる?」
「おや、お忘れですか?彼が不幸せになれば自分も不幸せだと、ご自身がおっしゃったのですよ」
オスカルは書類で口元を覆った。
確かそんなことを言った気がする。
そう、パリで馬車を襲撃され、アンドレが重傷を負った。
我が身が打たれるよりつらいということがわかって、丁重に求婚してくれた目の前の男に正直にあいつのことを理由にあげて断った。
そのアンドレの態度がなんとなく最近腑に落ちず、イライラしているのは事実だった。
ジェローデルはなかなかするどい。

「まあ、当たらずとも遠からずというところだな。だがそんなことはどうでもいい。今日の用件はこれだ」
バサッと書類をテーブルに放り投げた。
「目を通して賛成なら、おまえのほうから上に上げておいてくれ」
オスカルが瞬時に仕事モードに戻ったことを察して、ジェローデルは書類を手に取った。
さっと視線を走らせ、大まかな文意を読み取る。
「力作ですね。じっくりと読ませていただきましょう」
ジェローデルの好反応に少しオスカルの気分が上向きになった。
「そうしてくれるとありがたい。今のままではどうも動きにくくてかなわん」
「確かに。こちらも不自由は感じています。もう少し風通しの良い体制を取れないものかと思っていたところです」
「それなら話が早い。頼んだぞ」

オスカルが立ち上がった時、事務官がティーカップをトレイにのせて戻ってきた。
「お茶が入ったようです。せっかくですから、召し上がっていかれてはどうですか?」
「いや、いい。おまえたち2人でゆっくり味わってくれ。邪魔をした」
オスカルはスタスタと出て行きかけた。
いくらなんでも連隊長と差し向かいでお茶を楽しむ度胸は、事務官にはない。
泣きそうな顔でジェローデルを見た。
「部下が任務を遂行できるようはからうことも上司のつとめかと…。どうぞお掛け直し下さい。おまえは下がって良い」
ジェローデルは部下を部屋からだし、トレイからティーカップを取り、オスカルの前に差し出した。
「あの男はわたしの部下ではない。したがって上司のつとめもないはずだが…」
「確かに。しかし紛れもなく元部下ですし、それに、冷めてしまいます」
ジェローデルは自分もカップを取り、一口含んだ。
「慌てたと見える。少し薄い…」
独り言のような感想につられてオスカルも口をつけた。
「いつもが濃すぎるのではないか?これぐらいでちょうどいい」
「お口に合いましたのなら何よりです」
「あまり紅茶は飲まんのだがな…」

いつもはアンドレのいれるショコラを楽しんでいる。
ばあや直伝の味は濃厚だがしつこくはない。
こんなところで、そんなものを思い出す自分が不思議だった。
その様子をジェローデルはじっと見ていた。
「かの従者のショコラは少しぬるめでしたね?」
今度こそ、オスカルは息が止まるかと思った。
なぜ、それを…?
こいつは千里眼か?
するどすぎる。
「図星でしたか。お宅に伺った時、ショコラを運ぶ彼と何度かすれ違いました。湯気の量が幾分少なかったものですから、ぬるいのかと…」
口から出任せだ。
まさか顔にかけられたとは言えない。
本気でこの人を妻にするつもりだった。
そして望むなら、彼を付き人としてそばに置いてやるつもりだった。
見果てぬ夢だった。
ジェローデルは顔を背けた。

オスカルは今度こそ退室を決意した。
「提言のこと、よろしく頼む」
「次回お越しの時はぬるいショコラを用意させましょう」
「ジャルジェ家には秘伝の入れ方ががある。余人のものは好まない」
「そうですか…。ではやはりこちらではこの薄い紅茶にいたしましょう」
フッと微笑んだジェローデルは素早く動いて扉を開けた。
オスカルは振り返らず歩き出した。
後ろで扉が閉まる音がした。
とりあえず、アンドレのところに戻ろう。
イライラしても、腹が立っても、自分の居場所はあそこだ。
なぜだか無性にショコラが飲みたくなった。





※こちらはは第一部の「親子」と「助言」の間の挿話です。







          

         目次   親子   助言  掲示板  犬も食わない1  犬も食わない3








犬も食わない

−2−