「ジェローデルはなかなか鋭い」とついさっき思ったが、考えてみれば、オスカルが不機嫌なだけで、アンドレが不幸せなわけではない。
その論法で行くと、アンドレが不幸せではないのだから、オスカルも不幸せではないはずだった。
ではいったい自分は何が原因でこんなにモヤモヤとしたものを抱えているのだろう。
長い廊下を歩き、一度外に出る。
衛兵隊は宮殿の外部、フランス棟と呼ばれる建物に入っている。
来る時は馬鹿正直に宮殿内を歩いてきたが、広場を対角線で横切るほうが断然早い。
鬱屈した自分を励ます為にも、オスカルは外の空気を大きく吸い込んだ。

宮殿前の大きな広場は、人が小さく見えるほどだが、やたらと警備兵の姿ばかりが目立つ。
近衛隊、衛兵隊、外国人部隊と軍服の色がとりどりで、いったい何個隊が配属されているのか、誰か正確に把握している上層部はいるのか、はなはだ心許ない。
欧州随一の大国フランスの王宮の現状がこれである。
混乱とは恐ろしいものだ。
こういう状態が続けば、いつか国民はこれら一切合切を鎮め納めてくれる英雄の登場を待ち望むようになるだろう。
古来、英雄は平時には生まれない。
平時の英雄は、ただの変人で生涯を終える。
案外、この寄せ集めの兵士の中に、新しい英雄がいるのかもしれない。

フランス棟に入り、階段を上がる。
まずは副官の部屋があり、その隣がオスカルの部屋だ。
遠慮なく扉を開けた。
アンドレひとりが待っているはずだった。
だから、「ショコラ」と言いかけてすらいた。
だが、自分に寄せられた視線は両手の指より多かった。
「隊長!」
「帰ってきた!」
「隊長に聞こう!」
口々に発せられる声の数も片手では足りなさそうだ。
わらわらとうごめく兵士に囲まれて自席に座ったままのアンドレを発見した。
「何事だ?」
「陳情だそうだ」
「陳情?」
「この前の面会日、延期っていったまま、結局ないじゃないですかぁ!」
フランソワ・アルマンだった。
「ああ、そのことか…」
確かに月に一度の面会日が延期されていた。
「い、いつになるんですか?」
ジャンも真剣だ。
「延期といってもたったの一週間だろ?ほかの隊との調製がつけば、すぐに再開されるさ」
アンドレの何気ない取りなしは、兵士たちの怒りに油をそそいだ。
「たった一週間だってぇ!!」
「たった、とはなんだよ。たったとは…!」
「ディアンヌちゃんに会える唯一の希望が、一週間も延びてるんだよ!」
「アンドレ、ひどいよ〜!」
失言だとアンドレもすぐに気づいた。
「悪かった、悪かった」
席を立って集団の中に割って入った。
頭一つ高いので、上からではあるが、とにかく平身低頭した。

「隊長!隊長もたった一週間だって思ってるんですか?」
ミシェルが矛先をオスカルに向けてきた。
まだ入り口付近から自分の椅子までたどり着いていない。
「うむ…、まあ…。なかなか日程がとれず悪いとは思っている」
嘘である。
怒り狂う部下の手前、そうは言ってみたが、実はそこまで深刻にとらえていなかった。
他のことで頭がいっぱいで、認識すらしていなかった。
そうか、こいつらには面会日延期は大問題だったのか。

「隊長はな、なんとか調整しようと今も近衛隊に掛け合いに行ってたんだ。その話がつけば、役割分担も明確になって、予定も立ちやすくなる。だから、な、もう少し待ってくれ」
アンドレが、全くオスカルの意図しないことを言ってフォローに入った。
近衛隊との調整は、確かにたった今してきたが、面会日確保のためでは断じてない。
警備が重複したり、あるいは盲点ができていてりして、甚だお粗末な体制を改善するためだ。
それを面会日のためとは、口から出任せもいいところだ。
だが、純粋な兵士たちは素直に受け入れた。
「そうだったんですか?」
とがっていた空気が幾分和らいだ。
「じゃあ、近衛隊が早くおれたちの仕事をとってくれればディアンヌちゃんに会えるんだね?」
中間過程が大幅に省略されているが、フランソワのおおまかな認識はまちがっていない。
「そうだ」
アンドレは悪びれもせずうなずいた。
「ほ、ほんとに?」
ジャンは信用していないようだ。
「ほんとだよ」
アンドレがにっこり笑ってやる。
「た、たった一週間って平気でいう、アンドレに、お、おれたちの気持ち、わ、わからないと、お、思うんだけど…」
どもりつつ、的を射ている。
「そうだよなぁ。アンドレには好きな女の子に長く会えない気持ちなんて、絶対わからないだろうなあ…」
せっかく納得しかけていたフランソワが、再びアンドレに絡み始めた。
「しかも、次にいつ会えるかもわからないんだよ」
ラサールも加勢する。
「まあ、そういじめるな。案外アンドレくらいの色男になると、べったり一緒はうっとうしいんだろうよ」
それまで黙っていたアランが突然口を開いた。
「えーっ?もてる男ってそういうもんなの?」
ミシェルが口をとがらした。
「しばらく会わずにじらせる。色男のワザだな」
アランの言葉にオスカルの耳がわずかに動いた。
聞き捨てならないセリフである。
「さっ、とにかく隊長の交渉の結果待ちってことらしいから、引き上げるぜ。気が済んだだろ?」
今日はとても班長らしいアランである。
一班をしっかりまとめあげて、入り口では敬礼までして持ち場に戻っていった。

室内には突っ立ったままのオスカルとアンドレが残された。
やれやれ、とため息をつきながらアンドレは席に戻り、書類を綴じる作業を始めた。
しかたなくオスカルも椅子に座った。
たしかショコラを飲もうと思っていたはずだった。
だが言いそびれてしまった。
「わたしは面会日のために近衛隊に行って来たわけではないぞ」
長い足を組み直しながら、つぶやく。
耳ざといアンドレはにっこり笑った。
「わかってるさ。だけどああでも言わないと収まりがつかないだろ?」
そのとおりである。
「提言は渡せたのか?おまえが直々に行ったりして、あちらさんもびっくりだったんじゃないか」
「ああ、ジェローデルに直接渡した。たまたま在室していたらしい」
たとえ在室していなくとも、オスカルが来たと聞けば、ジェローデルは絶対に戻ってきただろう。
そして、仮に全速力で走って帰ってきたとしても、呼吸一つ乱さず、オスカルの前に姿をあらわしたはずだ。
アンドレには、それが悲しいくらいに察せられた。

「それなら話が早いな。案外今日中に連署してこっちにもどしてくれかもしれん」
「それだとありがたいが」
「ついでだから、本当に面会日の調整もしたらどうだ?」
「近衛隊とか?」
「半日こちらの業務を取ってくれれば、面会日を設定できるからな」
「なるほど…」
「こっちの問題も相当切迫してる。早めに日程を発表してやるほうがいい」
たとえ一週間先でも、予定があるのとないのとでは気持ちの持ちようが全然違う。
いつになるかわからないより、何月何日とわかっていれば、楽しみながら待てるのだ。
アンドレはそれを実感として知っていた。
オスカルと結婚できる日が来ると知っていたら、自分はどんなに楽しみにその日を待ったことだろう。
待つことは少しも苦ではなかったはずだ。
だが、絶対にそうはならないと思っていたからこそ絶望し、自暴自棄にもなったのだ。
つらい日々を思い、今の幸せを思い、そしてジェローデルを思った。

「おまえは毎日べったりだとうっとうしいか?」
突然オスカルが立ち上がった。
アンドレは、少し自分の世界に入り込んでいたので、反応が遅れた。
それで、答えるより先にオスカルの二の句が続いた。
「そういえば、おまえはラソンヌ先生のところに行ったときも、わたしに内緒にしていたな…」
話の飛躍についていけず、アンドレの返答はさらに遅れた。
「答えがないことを思うと図星だな?」
三の句に怒りが込められていることに気づいたアンドレはすぐに立ち上がった。
「オスカル、何の話をしている?何か怒ってるのか?」
だが四の句はなかった。
オスカルは再び出ていってしまった。
「おまえの望み通り、もう一度近衛隊に交渉に行って来る!」


※こちらはは第一部の「親子」と「助言」の間の挿話です。







          

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