ジャルジェ夫人と一日じっくり相談し、一応オスカルの意見も聞くだけは聞いて、アンドレは5つの品物を選んだ。
そして5通の手紙を書き、品物に添えて姉上たちに送った。
一番近くに住むクロティルドにはジャルジェ夫人がバルトリ家に持って帰って手渡してくれたので、翌日には使用人が返書を持って来た。
親愛なるアンドレ
お母さまからばあやの形見を頂きました。
驚きました。
ばあやがあのハンケチを持っていてくれたなんて…。
そしてわたくしの名前を刺繍してくれていたなんて…。
ベルサイユを離れノルマンディーに転居すると決めた時、お別れにジャルジェ家を訪ねました。
ばあやがあんまり泣くので、持っていたハンケチを渡して涙を拭くように言いました。
そしてそのままハンケチを置いてきました。
ばあやはそのハンケチにわたくしの名前を一文字一文字縫ってくれてたのですね。
今日、わたくしがこのハンケチで涙を拭きました。
アンドレ、ありがとう。
何よりの形見です。
ずっと大切にします。
ジャルジェの次女 クロティルド・ド・バルトリ
一読して、アンドレの目頭も熱くなった。
クロティルドと名前の刺繍されたハンカチを見つけた時、形見はこれしかないと思った。
その判断は間違っていなかった。
祖母の人生の折々を彩った風景の一旦をかいま見た気がした。
続いてノルマンディーの隣県ブルターニュから2通の手紙が届いた。
オルタンスとカトリーヌからである。
カトリーヌ一家は、マリー・アンヌやジョゼフィーヌが亡命するより早く、地方在住のオルタンスのもとに身を寄せていた。
この二人は全然性格が違うのだが、いたって仲が良く、また夫君同士も気が合うようで、おおらかなローランシー伯爵は妻の妹一家を快く迎え、不自由なく暮らせるよう配慮してくれていた。
まずは三女のオルタンスからの手紙を開けた。
親愛なるアンドレ
ばあやの形見、確かに受け取りました。
ありがとう。
ばあやのお針箱は、わたくしにとって魔法の箱でした。
髪飾りや人形など、お願いすると、この箱を開けて、針と糸を出して作ってくれました。
わたくしはあまり器用ではないのだけれど、何もないところから何かが作られていく様子を見るのが大好きで、いつしか真似をして自分も手芸を楽しむようになりました。
ル・ルーの持っている人形はなかなかの傑作でしょう?
ばあや直伝なのですよ。
ル・ルーも何か作るのが好きなようです。
完成品はちょっと変わってますけどね。
ばあやのお針箱、大切に使います。
そしていつかル・ルーに譲りましょう。
ばあやの血はオスカルが、ばあやのお針箱はわたくしが、おのおの子どもに伝えていくのです。
オルタンス・ド・ラ・ローランシー
ジャルジェ夫人が針箱をオルタンスに、と言った意味をアンドレは理解した。
そういう思い出があったのだ。
確かにル・ルーの人形は傑作だ。
自分の場合は何か作ってもらうというより、破れた衣服の修繕を頼むことの方が多かったな。
ズボンの裾のほつれや、とれかけたポケットなど、たびたび持っていった。おばあちゃんは、そのたび小言を言いながら針箱を開けて手際よくつくろってくれた。
あの針箱がいずれル・ルーに渡るのか。
きっとあの世でおばあちゃんもびっくりしているだろうと思うと思わず頬がゆるんだ。
続いて四女カトリーヌからの手紙の封を切った。
親愛なるアンドレ
このたびはばあやの遺品を送ってくださってありがとう。
わたくしのためにロザリオを選んでくれたこと、本当に嬉しく思います。
このロザリオはいつもばあやの胸にありましたね。
忙しいばあやは、なかなか教会に行けなくて、だからかわりにロザリオに祈っていました。
でも祈るのはいつも誰かのためで、決して自分のためではありませんでした。
だからわたくしはばあやが誰かのために祈るとき、かわりに隣でばあやのために祈っていました。
ばあやの祈りが神に届くように。
今日、わたくしは早速ロザリオを持って教会に行き、ばあやの魂が天国で安らかならんことを祈りました。
そして、あなたとオスカルと双子の未来に幸あらんことを祈りました。
きっとばあやはそれを一番祈っていたと思うから。
世情不安な折りに、久しぶりに清々しい祈りの時間を持てました。
心からお礼を言います。
カトリーヌ・ド・ヴァルクール
ああ、やはりロザリオにして良かった。
姉妹のなかでもっとも敬虔なカトリーヌにはロザリオがふさわしい、まるで聖女のようなたたずまいのカトリーヌが、もしも祖母のロザリオを受け取ってくれたら、祖母もどんなに喜ぶだろう。
カトリーヌはアンドレの願い通りに祖母のために祈ってくれるという。
ならば、とアンドレは胸の前で十字を切り、カトリーヌのために神の祝福を請うた。
続いて海を越えてマリー・アンヌとジョゼフィーヌの返事がイングランドから届いた。
ジョゼフィーヌの手紙は少し怖い気がしてひとまず横に置き、年齢順と理由をつけて長女マリー・アンヌのものを先に開封した。
たとえイングランドに亡命しても、やはりマリー・アンヌの手紙はフランス最高の紙が使われていて、気品漂うものだった。
アンドレへ
このたびはばあや愛用のめがねをありがとう。
この小さなめがねをかけて、ジャルジェのお屋敷でくるくると働いていたばあやを思い出しました。
めがね越しのばあやの瞳は、実はなんでもお見通しでした。
ばあやはいつも「マリー・アンヌお嬢さま、あまりご立派になさらなくてもよろしいんでございますよ。お嬢さまはそのままで充分にご立派なんでございますからね」と言ってくれました。
わたくしが背伸びしているとき、無理をしているとき、決まってこの言葉をかけてくれました。
公爵家に嫁いでからも、それはかわりませんでした。
その言葉がどんなにわたくしを楽にさせてくれたか、はかりしれません。
ばあやがずっと使っていためがね、このめがねを通してばあやが見ていたものを、わたくしも遠くイングランドから見ることにいたしましょう。
あなた方の幸福をずっと見守っていますよ。
マリー・アンヌ・ド・パンティエーブル
ああ、やはり…。
アンドレは思った。
やはり一言も触れておられない。
さすがマリー・アンヌさまだ。
アンドレはいつも祖母から聞かされていた。
めがねは嫁いだマリー・アンヌからの贈り物だ。
老眼で見えづらそうにしているのを見かねてわざわざ作ってくれたのだ。
その話しをするとき、祖母はとても嬉しそうだったし誇らしげだった。
侯爵夫人からの贈り物は、持ち物の中で最も高価な貴重品だと話していた。
だがマリー・アンヌはそれには一言も触れず、ただ祖母を偲び、自分たちの幸せを見守ると書いてくれた。
アンドレは手紙に向かって頭を下げた。
そして最後に、恐る恐るジョゼフィーヌの手紙を開けた。
出だしからして個性的だ。
相変わらずのアンドレへ
ばあやの形見分け、やっと重い腰を上げたのですね。
先送りしても、なんの救いにもならないのよ。
思い切って動いたら、実は一歩が踏み出せるもの。
実際に遺品整理をしてみてわかったでしょう?
あなたの判断は正しいけれどいつも遅いのよ。
でもわたくしへの形見に羽根ペンを選んでくれたことはとても良い判断でした。
このペンでばあやは書いてくれたのね。
忙しい毎日だったでしょうに、そして字を書くのは苦手だと言っていたのに、必ず返事をくれました。
今日、こうしてばあやのペンを手にとって、再び手紙をもらったような気がします。
フランスに置いてきてしまったばあやの手紙のかわりに大切にします。
それからわたくしがばあやに書いた手紙は、もう処分してくれて結構よ。
オスカルが読んだらきっと怒るでしょうから。
ではまたいつか会いましょう。
あなたの姉、ジョゼフィーヌ
すみません、ジョゼフィーヌさま、すでにオスカルは読んでしまいました。
というか、見つけたのがオスカルでした。
アンドレは心の中で詫びた。
そしてクスリと笑った。
祖母の遺品整理と形見分け。
思い出すのがつらく逃げていたが、ジョゼフィーヌの言う通りだった。
その行為はアンドレの喪失感を増長することなどなく、むしろ和らげ、さらには暖かいものに変換する効果まであった。
アンドレは半ば強制的に形見分けを要求したジョゼフィーヌのしたり顔を思い浮かべた。
(あと一話、続きます…)
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